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Posted by ミリタリーブログ  at 

2010年03月31日

心理作戦 Psychological operations

アフガン空爆が開始されたのは、10月6日であることはすでに述べた。このとき、海空軍の爆撃機がアフガン上空を飛び交ったが、飛び交ったのは、それらの爆撃機だけではなかった。

空爆が開始されると、直ちに第4心理作戦軍が組織された。この部隊の目的は、特殊部隊が展開する予定地へ反タリバン、反アルカイダのビラを撒いたり、ラジオ番組などを放送したりすることである。心理作戦軍に所属するC-130は、兵装などはすべて外され、その代わりに、1機で1つのラジオ局となるほどの放送機材が積み込まれた。

心理作戦軍の作戦は、3段階に分けられる。
特殊部隊が侵入する前は、「アフガンを愛する人々にお願いします。何の罪もない人々に危害を加えるビンラディンとその一味を裁判にかけましょう」、「奴らは、何の罪もないアフガン国民および米人を殺すため、祖国を基地に使っています。テロリスト達は、アフガンの人々とイスラム教を冒涜しています」といったメッセージのビラや放送を流し、住民に反タリバンを植え付けた。

そして部隊が侵入すると、「アメリカの軍隊があなたの街を通るでしょう」など、近く戦闘が起こることを知らせ、住民に避難するように勧告する。

作戦が完了すると、「アフガンの人々を幸せにする自由な国を共につくろう」のような希望に満ちた表現を放送するのだ。

さらに治安が安定した地域には、アフガンの音楽をBGMにした、あまり議論が起こらないニュースや明るい話題、および援助物資の配給や医療援助などの案内を流した。

タリバン政権は、音楽を聞くことも作曲することも禁じていたため、この放送は非常に効果が高かった。しかしアフガンの人々は、この放送がアメリカの心理作戦軍によって製作されていることを知らなかった。


次回更新は、4月7日「民衆への対応」です。お楽しみに。
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Posted by 友清仁  at 07:02Comments(0)knowledge base(基礎知識)

2010年03月24日

メディア対策 Hook the medias

アフガニスタンへ空爆を始める前、否、9・11テロが起こってからすぐに、ワシントンは、メディアや市場に対してさまざまな手段をとっていた。アメリカ政府は、実質的なアフガン政府であるタリバンに、ビン・ラディンをはじめとするアルカイダ幹部を引き渡すように要請する一方で、タリバンに対する武力行使の準備も進めていた。

アフガン攻撃に際し、アメリカ政府が最も恐れたことは、「キリスト教vsイスラム教」という図式になり、ソ連のアフガン侵攻、果ては中世の十字軍のようなことになることであった。(しかし、ブッシュ大統領本人が、「十字軍」的な発言をしてしまい、その後のもみ消しが大変であった。) 

そのため、アフガン侵攻準備を進める一方で、アラブ世界で最も影響力の強いアラブメディアに対して、大規模な「攻撃」を行った。攻撃の対象となったのは、中東最大の衛星放送アルジャジーラである。一説によると、アメリカ政府は、米投資会社に働きかけ、アルジャジーラの株式のほとんどを買収させ、一時期、アメリカ系企業にしてしまったという。

9月半ばから、ライス国務長官、ラムズフェルド国防長官などの政府要人がインタビューを受け、「アメリカは、決してイスラム世界に対して戦争を行っているのではない。テロリストと戦っているのだ」、「アメリカは、クウェート、ボスニア、コソボを救った」。と繰り返し発言した。さらに「イスラム穏健派指導者」を取り込み、彼らが同調したことで、いっそう効果が高まった。

また、アメリカの全省庁も「挙国一致」体制を敷いた。例えば財務省などはアラブ系企業に対し、アメリカに協力した場合の「莫大な見返り」と反アメリカ行動を行なった場合の「過酷な制裁」の両方を使い、市場操作も行なった。このような処置のおかげで、反タリバン、反アルカイダへと国際世論を勢いづかせることができた。

この結果は明白で、開戦当初から、米のアフガニスタン進出および駐留を非難するイスラムおよびアラブ国家はひとつもなかったのである。



次回更新は、3月31日 「心理作戦」です。お楽しみに。
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Posted by 友清仁  at 07:00Comments(0)knowledge base(基礎知識)

2010年03月17日

オマル Omar

ムッラー・オマルは、1959年、カンダハル近郊のサンギサル・マイワンドで生まれた。彼の家庭は非常に貧しく、父は、オマルが生まれるとすぐに世を去り、オマルは家族を養うため、幼少の頃から働いた。

ソ連がアフガンに侵攻すると、オマルも他のアフガニスタンの男たちと同様にムジャヒィデンとして戦ったが、彼の場合は、祖国を護るためというより傭兵の方が金になるから兵士になったといったほうが正しい。

戦闘で4回負傷し、そのとき右目を失った。負傷し、兵士として働くことができなくなった彼は、故郷に帰っても食ってゆくことができないため、やむなくパキスタン国境のクエッタにあるイスラム教寺院学校へ行き、イスラム教の僧侶となった。僧侶として彼は、イスラム教の研究に専念しやがて学校で教鞭をとるまでになる。

1989年にソ連がアフガンから撤退すると、国内は無政府状態となった。略奪、強姦、殺人が繰り返された。そのような状態に怒りを感じたオマルは、同志50名と共に寺院を出て、首都カブールに入った。

カブールに入ったオマルたちは、すぐに盗賊たちの略奪の現場に出くわした。オマルたちは、わずか16丁の旧式銃で、自動小銃を装備した盗賊たちと戦い、みごと、盗賊を撃退した。

この噂がまたたくまに国中に広まり、ぜひ、オマルの下で働きたいというものが集まってきた。この集団がやがて、タリバンとなり、アフガニスタンを席巻するようになる。


次回更新は、3月24日 「メディア対策」です。お楽しみに。
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2010年03月10日

オマル師 襲撃 Raid Omar

75レンジャーがリノ空港の夜襲を敢行しているとき、もう1つの部隊が、極秘作戦を行っていた。作戦内容は、カンダハル近郊の別荘に滞在しているオマル師とタリバン幹部の拘束である。

この作戦を行ったのは、デルタ・フォースと思われる。なぜ、「思われる」なのかは、このデルタ・フォースという部隊は、まったく公式に認められていないテロ対策専門の秘密部隊だからである。

オマル師拘束の作戦は、アフガンに潜伏しているCIA工作員からの「カンダハル近郊の別荘にオマル師が滞在している」との情報が入ったためで、しかしそれ以外の情報、例えば建物の構造がどのようになっているとか、守備兵がどれくらいいるかなどは、まったく分からなかった。

オマル師襲撃部隊は、コール曹長以下8名のデルタ・フォースであった。8名は、ヘリから降りると、暗闇の中、別荘まで500mの位置まで進んだ。
「何か見えるか?」。とコール曹長は、暗視機能付きのスコープをのぞいているスナイパーに訊いた。「画像が鮮明ではないのでよく分かりませんが、守備兵らしきものはいません」。とスナイパーは答えた。
コール曹長は、別荘にオマル師がいて、守備兵が多い場合は、突入せず、別荘を監視し、応援部隊を要請するように命令を受けていた。判断の難しいところである。

スナイパーをそのまま監視させ、コール曹長以下7名は、別荘の塀際まで進んだ。深夜で寝静まっているのだろうか、内部に人の気配がしない。7名は、塀を乗り越え、別荘の敷地内へ入った。相変わらず人の気配はしない。

コールは部隊を2つに分け、自分は母屋を、もう1つは離れを捜索するように命令した。コールの部隊が母屋に侵入した瞬間、「ファック!」とコールは怒鳴った。コールが見たものは、テーブルに並べられた、食べかけの夕食であった。

明らかにオマルはここにいた。わずかの差でオマルに逃げられてしまったのだ。しかし母屋には、タリバン政権に関わる重要書類が残されていたため、それらを押収した。まんざら無駄足でもなかった。
しかしコール曹長は、悔しかった。そして、「鷲は逃げ去った」と、短く司令部へ報告した。


次回更新は、3月17日 「オマル師」です。お楽しみに。
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Posted by 友清仁  at 07:01Comments(0)Story(物語)