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Posted by ミリタリーブログ  at 

2010年05月12日

クライ・シャンギ監獄 Qala-e-jangi Prison

ファヒム将軍の軍が首都カブールに入城したとき、北部同盟のもう一方の軍を率いていたドスタム将軍は、各地でタリバン軍を撃破し、カブールへ移動しつつも、未だにその道半ばであった。

「同志ガードナー、どうゆう事なのだ」。ドスタムは、チーム595を率いるガードナー中尉に怒気を含んで言った。ガードナー中尉は、マザリ・シャリフ攻略以後、ドスタムの軍事顧問のようになっている。
「どうして、このように進軍が遅々として進まんのだ?」。ドスタムは続けて尋ねた。「タリバン兵の捕虜が多く、その扱いに手を焼いているのです」。ガードナーは答えた。

マザリ・シャリフを放棄し、クンドゥズに退却したタリバン軍は、その後、B-52の爆撃や心理作戦軍のビラによって、雲散霧消し、そのほとんどがドスタムに降伏したのだ。その数は約600名である。
ドスタム軍が2000名であることを考えると、捕虜の数が多すぎである。捕虜の食事すら満足に調達できない状態で、ウズベクの基地からチヌークでの輸送に頼っている状態である。

「捕虜など、殺してしまえ」。ドスタムはガードナーに命じたが、ガードナーは応じなかった。
足りないのは、食料だけではなかった。捕虜を輸送するトラックも足りなかった。そのため、捕虜は徒歩で移動せざるをえず、どうしても進軍の速度が鈍った。

ガードナー中尉も、この状態が良いとは思っていない。ドスタム軍と捕虜を切り離して、一刻も早く、首都カブールに進みたかった。どこかに捕虜を収容し、管理してくれる部隊を派遣してくれるように、ウズベクの司令部に要請した。

11月24日、司令部からマザリ・シャリフから南へ20キロの地点にクライ・シャンギという、大昔の城塞があり、そこへ捕虜を収容するように命令がくだった。

この頃になると、国連の人道援助スタッフがアフガニスタンに入国し、アメリカの占領地でさまざまな人道援助を始めていた。クライ・シャンギにも、捕虜に対する医療活動を行なうべく、国連スタッフとドイツのテレビ局クルー数名がやってきた。

国連スタッフは、到着するとすぐにドスタム将軍およびガードナー中尉と面会し、医療活動を行なう旨を伝えた。加えて、国連スタッフの護衛要員も手配して欲しいと伝えた。

この国連スタッフの要請に、ドスタムは、明らかに不機嫌な顔して、「わが軍も兵力が足りなくて困っている。しかし、国連の要請ならやむをえない。10人ほどつけてやる」。そう言うと、さっさとテントを出て行ってしまった。

600人の捕虜に対し、軽武装の兵士10人である。明らかに足りない。


次回更新は、5月19日 「2人のCIA」です。お楽しみに。
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写真は、イメージです。

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Posted by 友清仁  at 07:00Comments(4)Story(物語)