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Posted by ミリタリーブログ  at 

2010年05月26日

孤立無援 Minority of one

「監視兵は殺された。この監獄は、捕虜の手に落ちた」とデイブは叫んだ。このときデイブは、無線をなくていた。そのため、ドイツ人クルーから衛星携帯電話を借りて、ウズベキスタンのタシケントにあるアメリカ大使館にSOSを発信した。

この電話は、フロリダの軍用電話交換所に転送され、ウズベキスタンのSOG司令部に連絡がついた。「クライ・シャンギで暴動が起き、監獄は、捕虜達に占領された。直ちに救援部隊を頼む」。デイブは叫んだ。

さらに彼は、脚を引きずりながらも、国連職員らを率い、監獄内の安全な場所へ隠れた。手にしている武器はAK47、1丁とマガジン3個である。

デイブたちが退避している場所から100メートルと離れていないところでは、タリバン兵は、興奮状態で、隠し持っていたAKを空に向けて乱射していた。そのうち何人かは、デイブたちを血祭りにあげようと、デイブたちが隠れている部屋まで近づいてきたが、その都度、デイブが狙撃して撃退した。

一方、捕虜を監獄へ引き渡し、身軽になったドスタム軍は、首都カブールに向けて進軍を開始した。ドスタム軍の「軍事顧問」のガードナー中尉は、絶えず、ドスタムのそばにいるようになった。

監獄で暴動が起きたときも、カードナーは、ドスタムと同じ車両に乗っていた。揺れる車中で、ドスタムと今後の進軍について、打ち合わせていると、軍用無線から緊急信号が発せられた。「捕虜を収容した監獄で、暴動が発生した。CIAと国連職員が人質に取られているようだ。チーム595は、至急、救出作戦を開始してくれ。イギリス海兵隊も現地向かっている。兵力が足りない場合は、現地で確保してくれ」。

ガードナーは無線を切ると、「将軍。監獄で暴動が起きて、我々の同胞が人質に取られているようです。我々は、直ちに救出に向かいますので、しばらく空けます。あと、兵を100名ほど借ります」。そういうと、運転手に車を停めさせ、さっさと出て行ってしまった。

「そんなものは、後続の部隊にやらせて・・・」とドスタムは言いかけたが、それ以上は言えず、ガードナーを引き止めることはできなかった。最大軍閥のドスタム軍であっても、ガードナーたちが誘導するB52の空爆などの助力がなければ、まともにタリバン軍と戦うことができないからである。

次回更新は、6月2日 「特殊部隊到着」です。お楽しみに。
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Posted by 友清仁  at 07:01Comments(0)Story(物語)

2010年05月19日

2人のCIA Two CIA

11月24日、ドスタム軍は、捕虜をクライ・シャンギ監獄に収容した。捕虜達は、意外なほど従順で、たった10名の監視兵に逆らうこともなく、監獄に入った。もっとも、捕虜達の従順さは、ドスタム軍に心服しているのではなく、ドスタム軍の捕虜管理がずさんだからであった。

捕虜達は、武器を所持することは禁止されているものの、それ以外の行動は自由で、例えば、暇つぶしにギャンブルをやっていても監視兵は注意しなかったし、食料が足りなければ、付近の村へ強奪にすら行っていた。当然、強奪の帰りには、自動小銃などを隠して持ち帰っていた。

翌11月25日未明には、CIA工作員、スパンとデイブの2名が、大量の捕虜の中からアルカイダメンバーを見つけるために派遣されてきた。

同日の早朝、捕虜の尋問が行なわれることになり、捕虜達を監獄の広場に引き出した。ちょうど、朝の礼拝の時間と重なっていたため、捕虜達は、一斉に礼拝を始めた。礼拝が終わると、朝食が配られ、広場がにぎやかになった。捕虜達は、捕虜になったことを喜んでいるようで、監視兵と談笑するまでになった。

おそらくタリバン兵の穏やかな態度に騙されてしまったのだろう。スパンとデイブは、捕虜を個別に尋問しないことに決めた。しかし、この決定は、後に重大な誤りであることが分かる。

CIAのスパンは、捕虜が満ちている広場の中央まで進み、捕虜にいくつか質問した。捕虜達は、この声に反応し、あっという間に、スパンをと取り囲んだ。
「なんで、お前らは、アメリカに対抗するのだ?」とスパンが尋ねると、捕虜の1人は、「お前を殺すためだ」。とブロークンイングリッシュで答え、スパンを殴りつけた。さらにもう1人が首を締めようと手を伸ばしてきたため、スパンは、すぐにグロック17を取り出し、捕虜に向けて発砲した。

一瞬、捕虜達はひるんだものの、すぐにスパンに飛びかかり、押さえつけると、袋叩きにして殺してしまった。スパンは、アフガン戦初の戦死者となった。
さっきまで談笑していた監視兵たちも、スパンと同様の運命に落ちた。

この様子を城壁の上から見ていた、もう1人のCIAデイブは、すぐにスパンを助けるため走った。しかし、これがまずかった。急な動きを察知したタリバン兵は、隠し持っていたAK47を一斉にデイブに向けて発砲した。銃弾の何発かが、デイブの右足に命中した。

デイブは、痛みに耐えながら、なお走り、国連職員およびドイツ人テレビクルーが作業する部屋へ転がり込んだ。

「逃げろ。捕虜達が襲ってくるぞ」


次回更新は、5月26日 「孤立無援」です。お楽しみに。
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Posted by 友清仁  at 06:55Comments(0)Story(物語)

2010年05月12日

クライ・シャンギ監獄 Qala-e-jangi Prison

ファヒム将軍の軍が首都カブールに入城したとき、北部同盟のもう一方の軍を率いていたドスタム将軍は、各地でタリバン軍を撃破し、カブールへ移動しつつも、未だにその道半ばであった。

「同志ガードナー、どうゆう事なのだ」。ドスタムは、チーム595を率いるガードナー中尉に怒気を含んで言った。ガードナー中尉は、マザリ・シャリフ攻略以後、ドスタムの軍事顧問のようになっている。
「どうして、このように進軍が遅々として進まんのだ?」。ドスタムは続けて尋ねた。「タリバン兵の捕虜が多く、その扱いに手を焼いているのです」。ガードナーは答えた。

マザリ・シャリフを放棄し、クンドゥズに退却したタリバン軍は、その後、B-52の爆撃や心理作戦軍のビラによって、雲散霧消し、そのほとんどがドスタムに降伏したのだ。その数は約600名である。
ドスタム軍が2000名であることを考えると、捕虜の数が多すぎである。捕虜の食事すら満足に調達できない状態で、ウズベクの基地からチヌークでの輸送に頼っている状態である。

「捕虜など、殺してしまえ」。ドスタムはガードナーに命じたが、ガードナーは応じなかった。
足りないのは、食料だけではなかった。捕虜を輸送するトラックも足りなかった。そのため、捕虜は徒歩で移動せざるをえず、どうしても進軍の速度が鈍った。

ガードナー中尉も、この状態が良いとは思っていない。ドスタム軍と捕虜を切り離して、一刻も早く、首都カブールに進みたかった。どこかに捕虜を収容し、管理してくれる部隊を派遣してくれるように、ウズベクの司令部に要請した。

11月24日、司令部からマザリ・シャリフから南へ20キロの地点にクライ・シャンギという、大昔の城塞があり、そこへ捕虜を収容するように命令がくだった。

この頃になると、国連の人道援助スタッフがアフガニスタンに入国し、アメリカの占領地でさまざまな人道援助を始めていた。クライ・シャンギにも、捕虜に対する医療活動を行なうべく、国連スタッフとドイツのテレビ局クルー数名がやってきた。

国連スタッフは、到着するとすぐにドスタム将軍およびガードナー中尉と面会し、医療活動を行なう旨を伝えた。加えて、国連スタッフの護衛要員も手配して欲しいと伝えた。

この国連スタッフの要請に、ドスタムは、明らかに不機嫌な顔して、「わが軍も兵力が足りなくて困っている。しかし、国連の要請ならやむをえない。10人ほどつけてやる」。そう言うと、さっさとテントを出て行ってしまった。

600人の捕虜に対し、軽武装の兵士10人である。明らかに足りない。


次回更新は、5月19日 「2人のCIA」です。お楽しみに。
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Posted by 友清仁  at 07:00Comments(4)Story(物語)

2010年05月05日

トラボラでのシールズ Seals in Tora Bora

トラボラの山岳地帯に逃げ込んだタリバンおよびアルカイダを捜索するために、シールズをはじめとする、さまざまな部隊が組織され、同地に派遣された。部隊の概要は、以下のとおり。

‐シールズチーム2、3、8
-第4心理作戦群から複数部隊
‐アメリカ空軍CCT、PJ部隊
-第160特殊作戦航空連隊、海兵隊CH-53ヘリコプター数機
-デンマーク特殊部隊100名
‐ドイツKSKコマンド100名
‐ニュージーランドSAS40名
-JTF-2からカナダ特殊部隊40名
‐ノルウェー、イエーガー特殊部隊50名
-ノルウェー、イエーガー海兵隊28名
‐オーストラリアSAS95名

これらの部隊は、1チームあたり、15名ほどで編成され、その中には、必ず2名のCCT(Combat controller)が配属されていた。36平方キロメートルの範囲に散らばる70以上もの洞穴や地下道の捜索を行なわなければならないため、捜索を行ない、基地へ帰還しては、またすぐに次の任務へ就くということを何度も繰り返した。

以下は、トラボラでの掃討作戦に参加したシールズ隊員のインタビューを集めたものである。


「山岳地帯に逃げこんだアルカイダの掃討作戦と聞いて、すぐに終わると思っていましたが、現地に着いて、それは間違いであることに、すぐに気付きました。アルカイダは、ソ連侵攻時のムジャヒディンで、無線機も持っていないと思っていたんですが、とんでもない。奴らは、ラップトップパソコンに衛星携帯電話、さらにGPSまで持っていて、それらを使って、我々の位置を知らせあったり、部隊を移動させたりしていたのです」。

「地下壕の中には、地下に何層もあるものもあって、しかもその地下壕はアメリカの鋼材を使って作られていたのです。冷戦時代の遺物ですね。もちろん、それらの全階を破壊することは不可能なので、入口だけを破壊したのですが、3日もすると、元通りに修復されているのです。」

「家の下に、大量の弾薬箱が隠されていて、それを航空機で爆破しようとしたとき、首輪がついたままの犬を見つけたんだよ。タリバン兵が飼っていたんだね。首輪を外して逃がしてやったんだ。どこかへ逃げると思ったんだがね、そいつは、その後ずっと俺達について来たんだ。カンダハルへ帰還するヘリが迎えにきたときも、ついて来たんだ。なんで、そいつにジェイダン(JayDAM)って名前をつけてやったんだ。これは、捜索した家を吹っ飛ばすときに使った精密誘導爆弾の名前だよ。そのときから、そいつは俺達の仲間になったんだ。」


次回更新は、5月12日 「クライ・シャンギ監獄」です。お楽しみに。
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Posted by 友清仁  at 07:00Comments(2)knowledge base(基礎知識)