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Posted by ミリタリーブログ  at 

2010年07月28日

CCTの訓練 CCT training

アメリカ軍で初めてCCTが現れたのは、第2次大戦時であり、当時は、パスファインダー(抜け道を見つける人)といわれていた。脚光を浴びたのはベトナム戦争で、ラオス人のバング・パオ将軍とともに北ベトナム軍に対して前進航空統制部隊として活動したときである。

80年代前半から、CCTは特殊戦術飛行隊となり、パラレスキュー部隊もあわせて編成されるようになった。アフガニスタンおよびイラクで活躍した後、各国の技術指導を行っている。

空軍特殊作戦軍は、近年になってノースカロライナ州ポープ空軍基地の戦闘管制学校で特殊オペレータの訓練を開始した。この課程には、エアマン、下士官および士官などが参加する。そのトレードマークでもある鮮やかな赤のベレーの着用を許されるまでには、12から15ヶ月の長い教習課程を受けなければならない。

1年間に4つの課程を修了しなければならない。各課程には平均して11名が参加する。例えば01-02課程では、元レンジャー、シールズおよび海兵隊リーコンなどの経験を持つ候補者13名のうち10名が選ばれる。

実際の訓練は、ポープ空軍基地(14週間)で行われ、残り6週間は、それぞれ専門の施設で行われる。小規模部隊での戦闘方法、陸上移動および通信技術などをテキサス州ロックランド基地で学ぶ。約10週間程度である。

次にスキューバダイビングの訓練がフロリダ州キーウエスト潜水学校で行われる。これが4週間である。ステイティックライン(自動索)パラシュート課程がジョージア州フォートベニング陸軍空挺学校で行われる。3週間。

これが終わるとワシントン州フェアチャイルドのサバイバル学校でサバイバル過程が行われる。約20日間。不時着水した航空機からの脱出訓練がフロリダ州ペンサコラの海軍基地で行われる。1日。

HALO(高高度落下傘訓練)課程がカリフォルニア州フォートバーグおよびアリゾナ州ユマで行われる。5週間。

航空戦術、航空通信およびレーダー操作の課程がミズーリ州ケスラー空軍基地でさらに15週間行われる。



次回更新は、8月4日 「特殊作戦軍」です。お楽しみに。
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Posted by 友清仁  at 07:00Comments(0)knowledge base(基礎知識)

2010年07月21日

「ナイト・ケンタウロス」の活躍 The SOAR

第160特殊作戦航空連隊は、アメリカ陸軍で唯一夜間航空作戦ができる部隊である。

当初、第160連隊は、陸軍、第101、158、159および229航空大隊で編成されていた。これらの大隊が、夜間飛行および夜間作戦技術の訓練を受け、米陸軍初の「夜間」での戦闘体制をとることができるようになり、第160機動部隊となった。

公式には1981年10月16日に編成され、後に、「ナイト・ストーカー」として知られるようになった。その後、1990年6月に、先の3個大隊に、自立分隊および州兵大隊を加えて、第160特殊作戦航空連隊(空挺部隊)となった。

アフガニスタンに2001年10月から配備されてから、第160特殊作戦航空連隊は、常に特殊作戦に関わり、ほとんどの作戦に参加した。

第160特殊作戦航空連隊、第1大隊および第2大隊は、極秘裏にパキスタンに配備され、夜間に超低空飛行で特殊部隊をタリバンの背後に輸送する任務を行った。

タリバンがアフガニスタンで勢力を失うと、第160特殊作戦航空連隊はバクラムとカンダハルに2ヵ所を拠点に活動した。この作戦期間中、MH-6よりもMH-47E、MH-60Kを使用した。これは、MH-6では、アフガニスタンの特殊な気象条件(高度、熱、砂塵)には、小型で軽量であるが、航続距離が短く、兵装および出力が十分でないためである。

第160特殊作戦航空連隊のMH-47E は、最大積載量を搭載していても、無給油で高度4,000メートル、4時間以上飛行できる、優れた戦闘ヘリコプターである。

「アフガニスタンでの任務にまったく不安はなかったよ。」とMH-47Eのパイロットは言った。「確かに、機体がかなり損傷することあったが、何の問題もなく飛行が続けられた。一番怖かったのは、谷底を縫うように飛行しているときに飛んでくるRPGさ。アルカイダの射撃地点は、高台に位置していたからね。」

アフガン戦だけみると、第160特殊作戦航空連隊は、最も出動した部隊かもしれない。アフガン戦では、部隊の移動は、すべてヘリコプターであり、パイロットは休む暇もなかった。開戦から最初の6か月間で、ナイトストーカーは200以上の戦闘任務に参加し、戦闘飛行時間は、2,000時間を越えた。

200の任務のうち、70以上の任務は、開戦から3ヶ月以内の作戦で、タリバンの背後に連合国の特殊部隊を輸送するものであった。このような過酷な任務を遂行できるのも、世界最強のヘリコプター部隊だからである。


次回更新は、7月28日「CCTの訓練」です。お楽しみに。
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Posted by 友清仁  at 07:00Comments(0)knowledge base(基礎知識)

2010年07月14日

戦闘終結 The completion

11月27日、アメリカ軍の執拗な空爆と機銃掃射で、600名いたタリバン兵は、わずか50名ほどになった。すでに弾薬ばかりか、食料や水もなく、戦闘意欲を失い、城塞の地下倉庫に篭っているだけであった。わずかな隙を突いて、脱出しようと試みる者もいたが、ドスタム軍により射殺された。

ガードナーは、暴動鎮圧作戦の最終段階の準備を進めた。このとき、城塞の外壁を完全に制圧していたので、ガードナーはドスタム軍を内壁の北側と南側の城壁に展開させた。

兵士達が内壁に上ると、そこには、おぞましい光景が広がっていた。空爆と機銃掃射により、すでに人間の形を成していないタリバン兵の死体が広場一面に埋め尽くされていた。悪魔がどんなに想像力を働かせても、このような場面を作り出すことはできないだろうと思われた。

このころになると特殊部隊も増員され、20名ほどになった。
正午前、ガードナーをはじめとする特殊部隊20名が、タリバン兵が篭る地下倉庫の捜索を開始した。特殊部隊が地下倉庫の扉を蹴り上げると、中には、完全に恭順の姿勢をしたタリバン兵がいただけであった。

すぐにタリバン兵に簡易手錠をして、広場に連れ出した。広場では勝利を確信したドスタムの兵士が、ガードナーの命令などそっちのけで、タリバン兵の死体から金目のものを、争って漁っていた。

念のため、ガードナーは、城塞全部のクリアリングを行うようにドスタム軍に命令した。略奪を禁止されたドスタム軍の士気は大いに落ちた。クリアリングといっても、士気の落ちたドスタム軍のやったことといえば、タリバンが潜んでいそうな場所に、RPGを打ち込んだだけであった。

この戦闘は、暴動鎮圧ではなく一方的な虐殺であると報じたメディアがあったが、それは真実とはいえない。なぜならタリバン兵は武装し激しく抵抗したからである。

この暴動が起きた原因の1つは、タリバン兵は、監獄に入った時点で十分にボディチェックを受けていなかった。
2つ目は、反乱が起きたとき、監視兵の数が十分とはいえなかった。捕虜4名つき監視兵1人が適当であっただろう。さらにタリバン兵が400平方メートルもの巨大な兵器庫がある場所に拘留されたことも原因の1つである。
3つ目は、デイブとスパンは、タリバン兵に対し、油断していたことである。また2人の外界との連絡手段が無線機だけで十分であったかどうかということである。攻撃が始まった直後に、CIA工作員がドイツ人テレビ局の衛星電話を借りることができたのは、不幸中の幸いであった。

後日、この特殊作戦中の戦闘での負傷により、戦傷ドリナミルを受賞した者がいることが発表された。公式には、クラ・イ・ジャンギ監獄の戦闘で航空攻撃の支援を行ったことを称えて、メダルが授与されたことになっている。しかし、この作戦に関わった者の氏名などは軍事機密として明かされることはない。


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Posted by 友清仁  at 07:00Comments(0)Story(物語)

2010年07月07日

空軍戦闘管制チーム CCT

アフガン戦で空爆指示を行っていた部隊は、いわゆる空軍戦闘管制チーム(Combats ConTroller Group)であるが、正式名称は、第720特殊戦術グループである。

この部隊は、1987年、航空管制員、パラシュート部隊(400名)で編成され、戦場で、戦闘偵察および救出作戦を行った。1996年には、戦闘気象部隊である戦闘気象飛行隊(CWS)が加わり、戦場の気象状況などを戦闘部隊へ提供している。

現在(2010年)の部隊の要員は、800名で、第21、22、23、24飛行隊および第10気象飛行隊、同様に第320および321気象隊で編成され、沖縄とイギリスに配備されている。

不朽の自由作戦時には、100名のCCT、パラシュート隊員および気象隊員がアフガニスタンで作戦に参加した。11名が第23STSに所属し、25日間で175回以上の前線近接航空支援を行った。

CCTの任務は、戦場では爆撃機を誘導して地上軍に対し火力支援を行い、空港では航空管制を行う。CCTは、敵地で空港を占拠すると、すぐに攻撃機や応援部隊を乗せた航空機を誘導する。彼らのモットーは、「ファーストヒア(第1陣であること)」である。

アフガニスタンでは、管制施設が破壊されたバグラム空軍基地およびリノ空港などの簡易滑走路でも行われた。ソマリアでは、第23特殊戦術飛行隊は、モガデシオ空港で72時間に渡って航空管制を行い、150機以上を誘導した。(CCTは、戦術航空統制班とは異なる。戦術航空統制班は、第720STGの所属ではない)

下の写真は、空軍戦術管制官のバート・デッカー曹長が北部同盟兵士とともに馬で移動しているときに撮影されたものである。この写真は、アフガニスタンでの作戦で国防総省が初めて公開した写真である。デッカー曹長は、初めて空軍機を誘導するという名誉に浴した。


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