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Posted by ミリタリーブログ  at 

2010年09月01日

ラムズフェルド Rumsfeld

1969年のニクソンからはじまり、レーガン、ブッシュ、クリントン、さらに子供のブッシュ政権までの40年近くアメリカの国防長官、国務長官などの要職を歴任したドナルド・ヘンリー・ラムズフェルド(Donald Henry Rumsfeld)は、イリノイ州シカゴで生まれた。プリンストン大学を卒業後、海軍に入り、パイロットや飛行教官を務めた。

1969年に、ニクソン政権で機会均等局長(Director of the Office of Economic Opportunity)、大統領補佐官、経済安定プログラム長(Director of the Economic Stabilization Program)等を務めた。
1973年、ワシントンを離れ、北大西洋条約機構(NATO)米国大使に就任する。

1974年8月に彼はワシントンへ呼び戻され、フォード大統領の首席補佐官(1974年 - 1975年)を務め、1975年に史上最年少の43歳で第13代国防長官(1975年 - 1977年)に就任した。

1977年に国防長官を辞任したラムズフェルドは、製薬企業や通信企業を経営しつつ、ロナルド・レーガン政権下で軍備や戦略、日米関係、中東問題など各種の諮問機関で委員を務めている。

第43代大統領であるブッシュ大統領の父親(第41代大統領)とは、共和党内における政敵同士だったため、ブッシュ政権においては一切の役職には就いていない

1998年、米連邦議会の嘱託による超党派の「弾道ミサイル脅威評価委員会」で委員長を務め、北朝鮮などが開発する弾道ミサイルの脅威と、米国本土ミサイル防衛(NMD)の必要性を指摘した。北朝鮮がテポドン1号の発射実験を行ったことで報告書の分析は裏付けられ、NMD計画が推進されることになる。

2000年12月、米国大統領選挙戦の終盤にジョージ・W・ブッシュが国防長官への起用を発表。翌2001年、ブッシュ政権が誕生し、史上最年長の68歳で国防長官に就任した。

2001年9月11日に同時多発テロが起きる。テロ勃発後、すぐに政権幹部を召集し、対応策を数時間でまとめ上げたことは有名である。

その後アメリカのアフガニスタン侵攻やイラク戦争において国防長官として指導的役割を果たす。とくにイラク戦争では、少数兵力による迅速な敵地制圧を唱え、派遣部隊の規模をめぐり、軍と対立し、エリック・シンセキ将軍を解任するなど強硬手段を取った。このことから、制服組からの評判も極めて悪く、「歴代最悪の国防長官」と酷評された。

その後、イラク戦争の大義として掲げていた大量破壊兵器が発見されないことやアブグレイブ刑務所での囚人虐待事件でアメリカの道義的威信を大きく損ねたこと、一向に改善されない現地の治安状況などから退任を求める声が高まってきた。

2006年11月8日の中間選挙において、イラク政策に対する国民の不満なから共和党は大敗した。その結果を受けたブッシュ大統領は、ラムズフェルドの辞任を決めた。

ラムズフェルドは、演説が難解との指摘を受けることがしばしばある。
2003年、『やさしい英語普及運動』から、『関係代名詞や従属節を多用し、なおかつ接続詞の乱用による長ったらしい、わかりにくい英語の演説や発言』をすることを顕彰して、『フット・イン・マウス賞』を受賞した。


次回更新は、9月8日 「CIAの作戦」です。お楽しみに。
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写真は、イメージです。


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Posted by 友清仁  at 07:00Comments(0)knowledge base(基礎知識)