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Posted by ミリタリーブログ  at 

2010年11月24日

第101空挺師団 Screaming Eagles

アメリカの軍事史に、第101空挺師団の名前が現れるのは、1918年7月である。当初は、第1次世界大戦のヨーロッパ戦線に派遣するために編成されたのが、結局、ヨーロッパに渡ることなく終戦を迎え、解散した。アメリカの軍事歴史家によっては、1918年に創設されたのは、あくまで歩兵師団であり、のちの空挺師団とは別であるとする者もいる。

・・・・ しかし第82空挺師団も、最初は歩兵師団として編成され、その後、空挺師団になっています。なぜ82空挺師団と101空挺師団を分けて考えるかというと、82空挺師団は、現在もパラシュート降下訓練を行っているのに対し、101空挺師団は、ヘリコプターによる急襲作戦を主とし、現在は、パラシュート降下訓練をほとんどやっていません。

つまり101空挺師団は、空挺師団というよりは、航空機動師団であると考えるためです。この辺は議論の分かれるところです。・・・・

1942年8月15日、第2次大戦の激化により、改めて空挺師団として編成される。このとき、編成の方法が従来の編成方法でない編成、つまり州単位で師団が編成されるのではなく、アメリカ全土の予備役兵が招集された。このため、「オールアメリカン」と呼ばれた。ヨーロッパ戦線における101空挺師団の活躍は、映画「バンド・オブ・ブラザーズ」に譲る。

第2次大戦終了後、1945年11月に解散されるが、朝鮮情勢の悪化を受けて、1948年に予備役師団として再編される。冷戦時代にはいると、訓練師団から常設師団に昇格し、ケンタッキー州のフォート・キャンベルに司令部を置いた。1960年代、ベトナム戦争に参加し、第1旅団のみ派遣されたが、1967年には残りの部隊も派遣される。1968年にヘリボーン部隊(空中強襲師団)に改変され、今に至る。


次回更新は、12月1日 「タクール・ハーの戦い3」です。お楽しみに。
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Posted by 友清仁  at 07:02Comments(0)knowledge base(基礎知識)

2010年11月17日

第10山岳師団 10th Mountainers

1939年から1940年にかけてフィンランドで戦われた冬戦争で、フィンランド国防軍は山岳戦・雪中戦の戦技を駆使してソ連軍を翻弄した。これに着目したアメリカ軍は、1941年12月8日、最初の山岳部隊として第87山岳歩兵大隊を創設し、その後、第87歩兵連隊に昇格した。

現在の第10山岳師団の原型は、1943年7月10日、第87、85および86歩兵連隊を中心に編成された。その後、第2次世界大戦の推移に伴い兵力数が増加し、1944年11月6日に第10山岳師団として正式に組織された。ただし大戦後、陸軍の体制縮小に伴い、他の師団と同様に第10山岳師団も解体された。

1985年、ウィッカム陸軍参謀総長が発表したAOE軽歩兵師団構想により、第10山岳師団が再編成された。
AOE軽歩兵師団構想とは、常備軍・予備役・州兵で合計5個の軽歩兵師団を編成するもので、山岳戦部隊の伝統を有する第10山岳師団は、まさにAOE構想を先取りしたものであった。

再編された第10山岳師団は、緊急展開部隊である第18空挺軍団の主力部隊のひとつとして位置づけられ、今日まで、アメリカ陸軍の常備師団10個の1つとして活躍している。また第10山岳師団の最大の特徴は、兵員すべてが大学卒業者で編成されている点である。

同師団は、軽歩兵師団の編成に基づき戦車などの機械化装備をほとんど保有していない一方、空挺降下やヘリコプターを利用した機動的な戦術を得意としている。このため、突発的な戦争が発生した場合には、第18空挺軍団を構成する第101空挺師団および第82空挺師団とともに、真っ先に戦場に投入される。

現在の第10山岳師団は、師団司令部の隷下に、4個歩兵旅団戦闘団および1個戦闘航空旅団、その他の師団直轄部隊によって編成されている。また、師団司令部は、その他の特殊な兵科の部隊(NBC対策部隊など)とともに、師団特別任務大隊(Special Troops Battalion)を編制している。


次回更新は、11月24日 「101空挺師団」です。 お楽しみに
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Posted by 友清仁  at 07:04Comments(0)knowledge base(基礎知識)

2010年11月10日

タクールハーの戦い2 Takur Ghar 2

2002年2月中旬。アルカイダ司令官ハザラト・アリは、約120名の兵士とともにタクール・ガール山に登った。タクール・ガール山は、未だかつて人が足を踏み入れたことのない山で、登山道などない。アリは、司令官でありながら、兵士と同様に、自動小銃と弾薬を持って徒歩で山に登った。道を作りながら登ったため、山頂まで、丸2日かかった。

山頂からシャハ・エ・コット渓谷を見下ろしたアリは、驚いた。なんと、山頂から渓谷全体が見渡せるではないか。この瞬間、アルカイダ司令官ハザラト・アリは、アメリカ軍の意図が分かった。アメリカ軍は、山頂に着弾観測点を造り、アルカイダを砲撃するつもりなのだ。

この山頂に着弾観測所を造られれば、渓谷に展開しているアルカイダ部隊は、ピンポイントに空爆・砲撃され、全滅するほかない。アルカイダ司令官ハザラト・アリは、アメリカ軍もいいところを見つけたものだと感心する一方で、もう少し行動が遅れていれば、砲撃で全滅していたかもしれないと、背筋が寒くなる思いだった。

早速、アリは、兵士に陣地を作るように命令した。くぼ地を掘り下げてタコツボをあちこちに造った。

タコツボの上には天蓋を設け、上に雪を乗せて上空からはタコツボと分からないようにした。昼間はアメリカの偵察ヘリが頻繁に行き交うため、作業はすべて夜間に行われた。さらに兵士を100名増員し、ふもとからできる限り多くの武器弾薬を運ばせた。

山頂に造られた、いちばん大きなタコツボを作戦指揮所とし、アリは、各戦闘部隊指揮官たちを集め、作戦会議を開いた。

「近日中にアメリカ軍は、この山頂に兵を進めてくるだろう。知ってのとおり、山頂まではろくな道路もないから、奴らは、ヘリコプターでやってくる。」 「まず、そのヘリを血祭りに上げる。すると奴らは、味方を助けるため、逐次、兵力を投入してくるから、それを各個に叩く。我々は最後の一兵まで戦い、アメリカ軍に大量の出血を強いるのだ」。

数日後、タクール・ガール山頂は、アメリカ軍を迎え撃つための強固な要塞に生まれ変わり、あとは、アメリカ軍がやってくるのを待つだけとなった。

次回更新は、11月17日「第10山岳師団」です。お楽しみ。
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Posted by 友清仁  at 07:03Comments(0)Story(物語)

2010年11月03日

タクールハーの戦い Battle of Takur Ghar

2002年3月4日未明。アフガニスタン東南部のタクール・ガール山頂付近を、特殊部隊を載せたMH-47Eチヌークが飛行していた。この特殊部隊は、タクール・ガール山頂付近に司令部を作るための先遣隊で、その任務は、司令部を作る場所の確保と土地の測量であった。さして難しい任務ではなかった。

チヌークが特殊部隊と物資を下ろすため、着陸態勢に入ったそのとき、1発のRGPがチヌークに命中した。そのときから状況が一変し、激しい戦闘が開始された。この戦闘は、アフガンに侵入して以来、タリバン・アルカイダから抵抗らしい抵抗を受けてこなかった特殊部隊にとって、もっとも過酷な戦闘となった。

タクール・ガールの戦い、すなわち、アナコンダ作戦は、アフガンのガルディーズ地方に広がるシャハ・エ・コット渓谷に潜伏するアルカイダを攻め潰すことである。

具体的には、
1渓谷の要所に観測員をおき、タリバン兵の拠点の位置を航空機に知らせ、空爆を行う。
2空爆を避け、退却するアルカイダ部隊をさらに空爆し、山岳地帯へ追いみ、タクール・ガール山を越えさせる。
3タクール・ガール山の東側には、第10山岳師団および第101空挺師団が鶴翼の陣で展開し、山越えで疲れきったアルカイダを一網打尽にする。

空爆で追いたて、地上部隊が殲滅するといった作戦は、湾岸戦争でも行われ、かなりの戦果を上げていた。この作戦の要は、航空部隊と陸上部隊の綿密な連携であった。

しかし、だだっ広い平原で行うならいざしらず、シャハ・エ・コット渓谷のような非常に険しい地形で行うためには、司令部、航空部隊および陸上部隊の無線通信が確実に行える必要があった。同渓谷は、3000メートル級の山々が連なる渓谷地帯であり、場所によっては、まったく無線が使えなかった。

山岳機動部隊司令官、ハーゲンベック中将は、渓谷に展開している軍を再編成し、司令部を高地へ移すことに決めた。司令部が見晴らしのよい高地にあれば、渓谷に展開する部隊に無線も届くからである。

ハーゲンベック将軍は、偵察部隊を近隣へ派遣し、適当な場所を探させた。数日後、「3,000メートル以上の高地で、タクール・ガール山の頂上は見晴らしがよく、部隊指揮には理想的である」と報告を受けた。

将軍は、衛星写真だけでなく、山頂付近にチヌークを何度も飛ばして分析した。偵察部隊の報告どおり、周囲の見晴らしもよく、うまい具合に、山頂付近には木が一本もなかった。これならレーダー施設も造れるかもしれない。将軍は、直ちに同地を確保するように命じた。

理想の場所を見つけたと喜んでいたのは、ハーゲンベック将軍だけではなかった。山頂を頻繁に飛行するチヌークから、近く山頂付近に何か動きがあると感じた人物がいる。アルカイダ司令官のハザラト・アリである。

「アメリカ軍は山頂で何かする気だ。兵を山頂へあげろ。オレも山に登る。武器弾薬もあるだけもって行け。重機関銃はもとより、可能なら野砲も上げろ」。「アフガン開戦以来、アメリカに反撃するときがついに来た」。ハザラト・アリは、ほくそ笑んだ。

次回更新は、11月10日 「タクール・ハーの戦い2」です。お楽しみに。
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Posted by 友清仁  at 07:05Comments(2)Story(物語)