2011年06月29日

写真で見るトモダチ作戦

今回は、「それはさておき・・・」から
写真で見るトモダチ作戦が並木書房さんから発売されました。
日ごろお世話になっている私のところにも、ご提供いただきましたのでレビューしたいと思います。

本書の最大の特徴は、400点以上のカラー写真で構成されている点です。この圧倒的な量の写真による構成で、アメリカ軍の活動はもとより被害の状況までよくわかります。

作戦を時系列に解説している点も見逃せません。本書を読み進めてゆくと、地震発生直後から、アメリカ陸・海・空・海兵隊の4軍が、あたかも生き物のように被災地に向けて活動を開始している様子がわかります。
現地の様子が性格に把握できていない状態であっても、最悪の事態を想定して軍を編成し、オペレーションを開始している点がアメリカ軍の凄いところです。

たとえば、3月12日には、東北地方の空輸拠点として山形空港を使用することを策定し、すぐに在日将校が視察に向かい、日本政府に使用を要請しているのです。要請を受けた日本政府が、米軍に使用許可を出したのは15日です・・・

原子力空母ロナルド・レーガンを宮城沖に向かわせたのことも、日本の報道では簡単に報道しているだけでした。しかし、アメリカとしては、最悪の事態を想定して・・・救援活動の拠点のほかに・・・混乱に乗じて領空領海を侵犯するロシア空軍に対する防空、中国潜水艦に対する対潜作戦の意味合いもあったのです。

日本に震災と防衛を同時に考えられる政治家がいたでしょうか?
今回の震災でいろいろなことを考えさせられました。日本には、どうあっても米軍の存在は不可欠です。政治家の皆さんには、海岸や野生動物を守ることも大切ですが、日本国民の生命・財産も守ることが大切だと考えてもらいたいですね。

目次
3月11日 震災直前のアメリカ軍の動向
3月11日 巨大地震、津波発生
3月12日 支援開始
3月13日 フル稼働する航空輸送
3月14日 海兵隊、前線司令部設置
3月15日 海軍ヘリ部隊による直接支援
3月16日 仙台空港回復
3月17日 第31海兵隊遠征部隊到着
3月18~19日 第31海兵隊遠征部隊の活動
3月20~26日 さらに強化される救援部隊
3月27~31日 気仙沼大島の海兵隊救援活動
4月1日以降 捜索活動とトモダチ作戦の終了
トモダチ作戦の軍事的教訓

非常に資料性の高い本なので、ご購入を強くお勧めします。Amazonや一般書店での発売は、もう少し時間がかかりそうなので、並木書房のHPよりご購入ください。海兵隊の活躍の描写が多いので、ついでに私の訳書、アメリカ海兵隊も合わせてお願いします(HPのかなり下の方で、トモダチ作戦と一緒に買えます・・笑)

これより本題・・
イギリス特殊部隊 SAS/SBS
クラ・イ・ジャンギ監獄の反乱
アフガンの首都カブールが陥落すると、アタ・ドスタム両将軍の勢力争いが始まったことはすでに述べた。これに対し、SASは、カブールの警察業務をいっさい引き受けることで解決した。もっとも、この頃には、中央作戦軍司令官トミー・フランクス大将をはじめとする高級将校たちが続々とカブール入りしており、将校たちの護衛・周辺警戒活動と警察業務が重複していたため、SASにとっても都合が良かった。

そのようなときに、マザリシャリフ近郊のクラ・イ・ジャンギ監獄跡地で、タリバン兵による反乱が発生したとの連絡が入った。当時、グリーンベレーをはじめとするアメリカ軍特殊部隊は、トラボラへ逃走したタリバン・アルカイダ幹部の掃討戦、およびパキスタンに隠棲しているハミット・カルザイ氏をアフガンに迎えいれる作戦の準備に忙しく、救出作戦に人員が割けなかった。そこで白羽の矢があたったのがSASである。

クラ・イ・ジャンギ監獄に10名ほどのSAS隊員が派遣され、救出作戦が行なわれた。結果は、1名のCIA工作員を救出したものの、残り1名はすでに殺害されていた。

ハミド・カルザイの護衛とトラボラのアルカイダ捜索
カンダハルの陥落が伝えられると、SASおよびグリーンベレーは、アフガニスタン暫定政府の大統領、ハミド・カルザイの護衛任務に就いた。このときからSASとランドローバー、さらに米特殊部隊が大統領の新しい官邸に常駐するようになった。

その一方で、第22SAS連隊に所属するチームは、トラボラのホースト付近の宿営地で偵察任務に就いた。この作戦は、特殊作戦理事会(DSF)の司令部の指揮下で行われ、現地では、敵が通りそうな道路に沿って情報収集拠点を設置して実施された。そのような情報収集の結果、アルカイダが潜伏していると思われる洞窟を発見すると、白リン弾や40mmグレネード弾が、洞穴の開口部へ撃ち込まれ、SAS隊員が洞穴の中に突入する手法がとられた。しかし、トラボラのアルカイダの洞窟拠点は無数にあり、いつ終わるとも知れない作業であった。

対アルカイダ海上作戦
2001年11月末から英米の情報局は、「海上捕獲作戦」を開始すると同時に12月からは、ビンラディンに関係があると思われる20隻の追跡作戦を行った。SBSは、ペンタゴンが「テロリスト艦隊」と呼んでいる艦船を「停船」させ、船内に武器、爆発物がないか臨検した。

国際法を遵守しないパナマ、リビアおよびキプロス船籍の艦船が真っ先に臨検され、数週間で膨大な数の艦船が臨検を受けた。パナマ、リビア貨物船の特徴は、高速運航している、高速航行ができる外観をしている、さらに挑発的な航行をすることである。

その中の1つであるMV NISHA号が、2001年12月21日にSBSにより、英沿岸で停船命令を受けた。同船は、サンダウン湾の向かいのワイト島から出航し、セント・ビンセント・グレナディン諸島に向けて進んでいた。(セント・ビンセント・グレナディン諸島は、キューバ領内の島で、1,300隻以上の艦船が船籍を置いている)

貨物船の積荷は、精製前の砂糖で、ロンドンの港へ向かうことになっていたが、問題は、その航路にロンドンで最も高い建物の前を航行することであった。
同船は、SBS、首都特別警察により徹底的に臨検を受けたものの、爆発物などは見つからなかった。しかし、これにより、テムズ川の防備の脆弱性が明らかになった。

そこでイギリス政府は、イギリスに向けて航行する貨物船に厳しい基準を設け、それに従わない艦船を臨検することにしたのだ。この基準は、係留されていないで状態で湾口付近に96時間以上とどまっているか、陸揚げを行っていない艦船、および陸揚げをする港に船員リストを提出していない艦船とされた
このときから、VBSS(船上臨検)がSBS、シールズ、オーストラリアSBSおよびフランス海上コマンドにより行われるようになったが、特に成果はあがらなかった。

次回更新は、7月6日「ドイツ特殊部隊KSK」です。お楽しみに。(イギリス軍でもあっても資料を集めるのがかなり大変です。ぼちぼちイラク戦の特殊部隊の準備を進めてます)
ご意見・ご質問をお待ちしております。


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Posted by 友清仁  at 07:02Comments(4)knowledge base(基礎知識)

2011年06月22日

イギリス特殊部隊 SAS

お休みありがとうございました。今回はちょい長めです。

イギリス特殊部隊SAS/SBSは、アフガン戦が始まるとすぐにアメリカ軍と協働していた。正確な数字は決して公表されることはないが、アナコンダ作戦が始動される頃までで、おそらく80パーセント近い隊員が、アフガンで何らかの作戦に参加していたようである。イギリスSASのアフガニスタンにおける活動について、系統立てて解説しているものがないため、様々なメディアから、その活動を「点描」してゆく。

アフガン戦初期
情報筋によると、SAS/SBSは、20名ほどの隊員がCIAと同時期に極秘にアフガニスタンへ潜入したようであるが、CIAとは全く連絡を取り合わなかった。むしろ、北部同盟幹部との接触を優先させていた。しかし、平素からアフガンに対し諜報活動を行っていなかったため、不調に終わった。
このときの移動車両については、わざわざイギリス本国からランドローバー6輌を輸送し、現地で「NGO」スタイルに塗装した。CIAが現地で日本製4輪駆動車を購入したのとは対照的である。

バグラム空軍基地攻略
ODA555による空爆により、空港に駐屯していたタリバン軍が雲散霧消すると、直ちに空港の整備が行なわれた。整備が終わると、アメリカ軍は、大型輸送機による物資の輸送を開始する予定であったが、そこで「政治的」な擦が米英と北部同盟の間で起こった。

空港の攻撃をアメリカ軍にやってもらったうえ、実際に飛ばせる航空機など北部同盟軍は持っていないのだが、戦闘の「果実」である、空港の使用権について、北部同盟は強烈に主張したのだ。戦争前からアフガンに工作員を派遣し、アフガン人の性格や気質を研究していたアメリカ軍は、根気強く交渉を重ねたが、そんなことを知らないイギリス軍は、第47飛行隊に所属するC-130数機をバクラム空軍基地に着陸された。

これが北部同盟幹部の怒りを買い、着陸しているC-130に向かって銃撃が行なわれるほどの状態になり、パイロットを初めとするクルーたちは、丸2日、飛行機から出ることができなかった。
結局、北部同盟幹部の怒りが収まるまで、イギリスはアフガン国内に司令部をおくことができなかった。

カブール陥落後
アフガニスタンの首都カブールが陥落すると、アフガニスタンでの勢力地図は大きく変わった。アフガン北部の約40パーセントが北部同盟の支配下になり、南部の60パーセントがタリバンの勢力下となった。しかし、南部のタリバン勢力も次々と投降するようになり、アフガンの統一は時間の問題となった。

アフガン統一が進められてゆく一方で、首都カブールでは新たな火種がくすぶっていた。カブールの警察権をめぐって、最初に入城したアタ将軍と、後から入城した、北部同盟最大勢力のドスタム将軍がいがみ合いを始めたのだ。いがみ合いは日を追うごとに激しくなり、首都カブールで市街戦が行なわれる寸前までになった。

バグラム空港で北部同盟のひんしゅくを買っていたSASは、この調停役を買って出た。具体的には、カブールの実際の警察業務をすべて引き受け、その「手柄」をドスタム・アタ陣営の両方に均等に割り振ったのである。同時に大量の金や物資もばら撒いた。以後、似たようなことがアフガンの都市のあちこちでおき、その都度、SASが調停した。このため、SASもアフガンで発言権を持つようになる。

次回更新は、6月29日 イギリス特殊部隊 SAS 2です。お楽しみに。

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Posted by 友清仁  at 09:48Comments(2)knowledge base(基礎知識)