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Posted by ミリタリーブログ  at 

2011年07月20日

ニュージーランド特殊部隊 NZ-SAS

2001年10月25日、午前3時47分。ニュージーランド特殊部隊SASが、インド洋のジエゴ・ガルシア島に基地を設営し、活動を開始したと世界中のメディアから報道された。

しかし、この基地は、ニュージーランド単独のものではなく、イギリス軍がオマーンで行った大規模演習の一部分に間借りしていただけで、訓練内容も通常のものと変わらず、特にアフガニスタンを意識したものではなかった。当然、ニュージーランド政府は、アフガンに部隊を派遣しない旨を発表した。

しかし、発表からわずか1週間後の11月3日になると、この方針が一転し、政府は、アメリカからの要請を受け入れ、国際的反テロリズム同盟に加わり、艦船・輸送機を提供し、特殊部隊を派遣すると発表した。

この方針転換が、ジム・アンダートン政権を揺さぶる大事件となった。方針を翻したこともさることながら、首相がアフガニスタンでの自国の特殊部隊に関する情報の開示を断固として拒否したのだ。

この秘密主義は徹底していて、自身の支持政党にすら、情報を開示しなかった。政府幹部でアンダーソンの腹心でもあるヘレン・クラークは、「派遣した部隊は秘密部隊であります。つまり活動を行うには、秘密でなければなりません」。と、繰り返すばかりであった。

この秘密主義の単調な答弁に、野党は、「ニュージーランドSASの装備では、アフガニスタンでの戦闘に耐えられない」、と強烈に政府を批判した。これに対してアンダートンは、ニュージーランド空軍の装備は、十分にアフガニスタンの任務に耐えられると反論し、ペンタゴンに派遣した佐官級士官を、急遽、呼び戻して答弁にあたらせるなどしたが、国内メディアは、十分な予算および装備が部隊に届けられていないと報道したため、まったくの泥仕合となった。

局、2002年の総選挙で、アンダートンは大敗し、政権の座から追い出されることとなった。

そのような本国でのドタバタをよそに、ニュージーランド特殊部隊SASは、アフガニスタンでアメリカ軍とともに、着実に活動を行った。アンダートンは、最後まで、アフガニスタンに派遣している部隊の公式な人数を発表することはなかったが、おそらく30名程度が派遣され、2個部隊を編成していたと思われる。派遣された人員の多くが、直接戦闘には参加せず、アメリカ軍の補給任務に就いた。

しばしば報道されているように、ニュージーランドSASは、オーストラリアSASとは共同で作戦を行ってはいない。その根拠として、2つの部隊は別々の地域で活動しており、ニュージーランドSASは、バクラム周辺の米軍からは兵站は独立していたこと、さらにオーストラリア軍もカンダハル地域では独立して活動していたからである。

ここで、ニュージーランド軍とその特殊部隊の概略について解説すると、
ニュージーランド軍は、ニュージーランド総督を名目上の最高指揮官として、国防大臣が直接指揮をとる。現在の兵力は、陸海空合わせて9000人程度。ニュージーランド本土および経済水域の防衛および太平洋安全保障条約に基づく防衛協力、平和維持活動を主な任務としている。

ニュージーランドSASは、1954年に創設され、マレーシアで初陣を飾った。その10年後にはベトナム戦に参加した。1978年には、第1SAS大隊となり、1991年に湾岸戦争に参加した。現在は、120名の兵士で編成され、定期的にオーストラリア、イギリス軍と訓練を行っている。

次回更新は、7月27日「ノルウェー特殊部隊」です。お楽しみに。
ご意見、ご質問をお待ちしております。(資料もないのに、マイナー路線に進むのは、かなりツライ・・泣)


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Posted by 友清仁  at 07:02Comments(0)knowledge base(基礎知識)