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Posted by ミリタリーブログ  at 

2011年09月21日

ピーター・シューメーカー Peter Schoomaker

ピーター・J・シューメーカー(Peter J. Schoomaker)は、1997年に就任した特殊作戦軍(SOCOM)司令官を最後に2000年11月に退役したが、2003年8月に参謀総長に復職。2007年2月まで務めた。一度退役した軍人がこうした役職に指名されるのは、1962年にケネディ大統領がマックスウェル・テイラー退役陸軍大将を統合参謀本部議長に指名して以来のことで、極めて異例である。

ピーター・シューメーカーは、1946年2月12日、ミシガン州で生まれた。彼の家系は、代々軍人一家である。1969年にワイオミング大学を卒業し、教育理学士の資格を取得した。その後、ミシガン中央大学で文学修士、ハンプデン=シドニー大学で法律博士の資格を取得する。学生時代は、フットボールの選手であった。

ワイオミング大学で、ROTC(Reserve Officers' Training Corps・・・予備役将校訓練)を修了していたため、陸軍に入るとすぐに少尉に任官し、フォートノック機甲学校へ進んだ。

彼の軍歴は、第4師団第2大隊司令部付少尉から始まり、ドイツで第2機甲連隊第1分隊隊長、韓国で第2師団第73機甲連隊第1大隊指揮官などを務めた。この間に参加した戦いで有名なものだけでも、イーグルクロウ作戦(1980年・・イラン)、アージェント・フリー作戦(1983年・・グレナダ)、ジャストコーズ作戦(1989年・・パナマ)、砂漠の盾作戦/砂漠の嵐(1990年・・イラク・クウェート)などがあり、このほかにも、ハイチの民主化支援などの秘密作戦などがある。

湾岸戦争が終結すると、シューメーカーは、フォートレヴェンワース(カンザス州)の陸軍参謀大学へ進み、将官に進級した。将官としての最初の配属先は、ドイツの第2機甲師団第2旅団の副旅団長であった。その後、フォートフラッグ(ノースカロライナ州)に戻り、統合軍特殊作戦司令部の特殊作戦司令官に就く。1985年から88年まで、第1特殊作戦分遣隊、いわゆるデルタ・フォースの司令官を務める。その後、第1騎兵補給連隊長、師団参謀総長などを経て、陸軍人事部へ移り、即応機械化兵団副師団長となる。

それらの職務を終えると、94年に統合軍特殊作戦司令部指令になった。9.11テロが起こったときは、シューメーカーは、指揮下の特殊作戦軍を派遣し、アルカイダと戦うことを進言したが採用されず、定年を迎え予備役となった。

現役を引退したシューメーカーは、EWAガバメントシステム社、CAEアメリカ社の取締役となり、軍事・防衛問題のコンサルタント、人材開発に努めた。通常はこのまま年をとり、軍事・財界から姿を消すのだが、運命とは分からないものである。

イラク戦争における運用兵力の規模を巡って「イラクの戦後処理には「数十万人」の米軍部隊が必要」との見解を述べたエリック・シンセキ参謀総長が、ラムズフェルドと対立し、更迭・退役させられると、第35代参謀総長として現役復帰することとなる。

次回更新は、9月28日 「中央作戦軍戦略会議」です。お楽しみに。


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Posted by 友清仁  at 06:58Comments(0)knowledge base(基礎知識)