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Posted by ミリタリーブログ  at 

2012年01月25日

タリン・コットの戦い 5 Battle of Tarin Kowt

さらに数日が過ぎた。タリン・コットは平静を取り戻し、商人が南北の幹線道路を通って、この街にやって来るようになった。

タリン・コット上空には、常に海兵隊のF-18が警戒につくようになった。
もし、タリバンの大部隊を発見したら、ODA574が行動を起こす前に、F-18が空爆して、タリバン部隊を全滅させてしまうだろう。

その日も「戦略会議」が延々と開かれたが、結局、結論が出ないまま終わった。「はぁ、今日も長い1日が終わった。明日も長いな」。戦略会議の隣で1日過ごしたCIAのキャスパーがぼやいだ。

CCTのウェスもうなずくと、「俺は、明日はお楽しみの偵察任務だ。外にいるほうが、ここにいるより、よっぽど楽しい」。タリン・コットには平和な時間が流れている。

そんな平和なタリン・コットの街の灯を、漆黒の闇のなかで凝視している一団があった。「準備は進んでいるか?」。闇の一団のなかで、ひときわ大柄な男が背後に言った。「準備は整っています。いつでも攻撃ができます」。背後から返事があった。

「ウルズガンのルシュディーは・・・、奴は、ソ連軍と戦ったことがない。それが奴の寿命を縮めた。小人が大男と戦うには、やり方ってもんがある」。

男は、そう呟くと、振り返って部下の間を抜けて、隠れ家の洞穴に消えた。部下もそれに続いた。この男の名は、ラービフ、カンダハルから100台の車両を率いて、タリン・コットを奪還に来た部隊の指揮官である。

ラービフとは、アフガンの言葉で「勝者」という意味である。その名の通り、ラービフは、ソ連のアフガン侵攻の時からムジャヒディンとして各地で戦い、生き抜いてきた歴戦の勇士である。そんなラービフには、アメリカ軍に一方的にやられているタリバン軍が情けなかった。

「いいか、俺の言うとおりにしろ。そうすれば、タリン・コットは我々のものだ」。ラービフは重ねて言った。ラービフは、ソ連のアフガン侵攻で最大の激戦であった、ハンシジール渓谷の戦いを生き抜きぬいた自信があった。

ハンシジール渓谷の戦いは、数と兵器に劣るムジャヒディンが、ソ連軍の圧倒的な航空戦力とヘリボーン部隊を撃退した戦いである。ムジャヒディンの戦法は以下のとおりであった。

1.強力な兵器、豊富な火力を持つ敵とは正面から対決しないこと。
2.敵の航空機に対しては、できるだけ少人数で行動すること。
3.攻撃したら、即座に移動すること。

ハンシジール渓谷には、2~3人が身を隠すことができる岩場や窪地がふんだんにあり、航空機やヘリコプターなどからは、簡単に見つけることができなかった。

たとえ発見されソ連軍戦車の砲撃や空爆などを受けても、それら岩場が防壁となって兵士を守った。命中したとしても、少人数であるため戦力に影響はなく、作戦を続行することができたのである。

ベトナム戦争では、深く入り組んだ熱帯の木々がベトコンを守ったのと同様に、アフガンでは、高地の入り組んだ地形が、岩と同じ色の衣装に身を包んだタリバン兵を、その懐に隠したのである。

指揮官ラービフは、この戦法と自分の経験を合わせて作戦を立てた。カンダハルを出てから、すぐに部隊を散開させ、ODA574の偵察部隊に見つからないように、タリン・コット付近の岩場や窪地を調べた。それをさらにシェルターとして使えるように改修した。

この調査、改修作業も少人数で行なっていたため、ODA574の偵察にも引っかからなかったのである。そして今、その改修作業も終わり、タリン・コット周辺は、ラービフの部隊の大要塞に囲まれているのも同然となった。

「作戦決行は、次の新月の夜だ。それまで、アメリカ兵には伸びた鼻毛でも抜かせておけ」。ラービフは、部下に命じた。


次回更新は、2月1日「ブラックホーク・グループ」です。お楽しみに。
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Posted by 友清仁  at 07:00Comments(2)Story(物語)