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Posted by ミリタリーブログ  at 

2012年02月01日

ブラックホーク BlackHawk!

おそらく、BlackHawkグループ社長、マイク・ノエル氏ほど、現在のタクティカル・ブロダクツに影響を与えた人物はいないだろう。ノエル氏は、元Sealsに所属し、イラク北部などで様々な任務に携わった。

その活動の中で、軍から支給された装備品が必ずしも現場の兵士の要求に応えていないことを痛感し、ノエル氏をはじめとするSealsたちは、独自に小型で使い勝手の良い装備品を作っていた。同氏は、Sealsを退役すると、ブラックホークを立ち上げ、現場の兵士の声を尊重した装備品を作り続け、現在は、タクティカルギアのリーディングカンパニーとなっている。



以下は、ノエル氏のインタビューである。

私は、湾岸戦争の時、イラク北部でイラク軍を監視する任務についていました。具体的には、イラク戦車部隊が南部の飛行禁止区域から出ないように長距離偵察を行い、時には、警告射撃なども行いました。

この時の偵察方法は、最前線の監視スポットまでヘリコプターで移動し、1週間ほど、その監視スポットで監視することと、地雷原の位置や範囲を捜索することでした。

ヘリコプターから見た砂漠は、全く問題がないように見えても、実際に着地してみると、地雷原の真ん中にいた、などということは日常茶飯事でした。

当時のSealsの標準装備は、LBEでした。M60ガンナーであったので、他の兵士より荷物が多く、M60のほかに弾帯、水、バッテリーなども携行したため、装備だけで40キロ近い重量となっていました。

仲間とともに、地雷原を歩いていると、ALICEパックのストラップの1つが、装備の重さに耐え兼ねて破損し、体の背面につけていた装備がぐるっと前面に移動し、バランスを崩しそうになりました。

慌てて足を踏ん張ったわずか数センチのところに、「バウンシング-ベティ」と呼ばれる対人地雷の信管が砂の中から目玉のように出ているのを見つけました。この地雷は、爆発する前に、ぽーんと空中に飛び、周囲10メートルに被害を及ぼすもので、もし、私が地雷を踏んでいたら、私だけでなく、メンバー全員が戦死していたでしょう。

私は地雷原を抜けると、すぐに装備を応急処置で直したものの、そのときから、もっと優れたストラップや装備が開発できないものかと考えるようになりました。

その任務を終えると、私は、幸運にもSealsの装備開発部門に配属されました。新しい部署では、自分の経験はもちろん、現場の兵士が必要としているものは何か、ということを第1に考えていました。

例えば、ボディアーマの着用が一般的になるにつれて、従来のM1967タイプのLBEでは、装備の質、量ともに十分なものを携行できなくなっていました。

任務に必要なものをすべて携行しようと思えば、ラップサックに入れるしかなく、しかしそれでは、すぐに取り出すことができないため、持って行っても意味がないというジレンマを、当時の特殊部隊は抱えていたのです。

現場の兵士たちは、既存の装備の改良品ではなく、全く新しいコンセプトの装備を求めていることを、まるで大波が襲ってくるような勢いで私は感じました。

私は、1993年10月に予備役に入ると、BlackHawk社を立ち上げました。
つづく・・・


次回更新は、2月8日 「ブラックホーク」です。お楽しみに
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Posted by 友清仁  at 07:01Comments(4)knowledge base(基礎知識)