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Posted by ミリタリーブログ  at 

2013年01月30日

戦闘終結 Over the war

その日、タリン・コットの午後は、空爆で死亡した兵士や市民の葬儀、そしてガレキの片付けで終わった。

翌朝、まだ日が登らぬ薄暗い中、タリン・コットの街にあるすべての4輪駆動車とソ連製トラックが、街の中央の広場に集められた。荷台には、AK47やRPG-7を持ったタリン・コットの若者たちが、乗り込み、カンダハルへの出撃準備を整えていた。

日が昇り、あたりが明るくなった頃、カルザイが広場に現れた。荷台の兵士たちは、一斉にカルザイの名を叫んだ。カルザイは、兵士に向かって、「出撃!勝利は我々のものだ」。そう叫ぶと、車列の先頭の4輪駆動車に乗った。

数十台の車列は、タリン・コットの街を出ると、渓谷を縫うように走る道をカンダハルへ向けて走った。車列の最後方にODA574のジェイスン大尉らが乗ったトヨタハイラックスが続いた。

アメリカ軍の空爆の頻度は極限状態まで高まり、トラックが2台連なっただけでも空爆の対象となっているため、ODAが絶えず、友軍であることを上空の爆撃機に知らせないと、再び誤爆の悲劇が起こる。そのため、ODA574のCCT、アレックスは、定期的に友軍に無線を発していた。

タリン・コットからカンダハルまで200km近くあるため、途中で野営し、2日後にカンダハル郊外に到着した。その間、全くと言っていいほど、タリバンの攻撃を受けなかった。

遠くに霞むようにみえるカンダハルの街を、ジェイスンは双眼鏡を通してみた。城壁の上や城門のあたりに兵士は見当たらず、街は平静を保っているかのようだった。

「どうする?」。ジェイスンは、カルザイに訊ねた。
「戦術的なことは、私にはわからない。しかし、兵士たちの士気が高いうちに決着をつけるべきだ」。

ジェイスン大尉は、街をアフガン兵に偵察させようと思ったが、彼らの偵察能力の低さを、嫌というほど知っているのでやめた。自分が偵察に行こうと思ったが、カンダハルまでは、広々とした砂漠で、身を隠すようなところがなく、的に発見される可能性が非常に高かった。

GPSを見ると、カンダハルの南東15キロの位置に、カンダハル国際空港があることがわかった。
「空港を空爆してみよう。敵の士気が旺盛ならば、消火活動に出るだろうし、その規模で、敵戦力もわかる」。ジェイスン大尉は、空爆を要請することにした。

CCTのアレックスが無線を操作していると、味方からの無線を受信した。無線の主は、アフガン最南端の都市シンナレイへ侵入し、当地の軍閥、ガル・アタ・シャルザイを支援しているODA583からであった。

「こちらODA583指揮官、マイク・パーカー大尉、貴官の部隊名と氏名を求む」。
「こちらODA574、ジェイスン・クラフト大尉だ。北部のタリン・コットからカンダハル攻略を計画している。そちらの位置と兵力を知りたい」。

その後、無線の往復のあと、ODA583のシャルザイ軍は、1000人規模の大部隊であること、また無線やGPSなどの装備も充実していることがわかった。

そこで2部隊は、役割を分担し、ODA583が空港の空爆および占領を行い、ジェイスンのODA574は、近隣集落の占領と慰撫を行うことになった。

2000年11月24日、カンダハル国際空港への昼夜を問わない空爆が開始された。元々が民間空港であったため、ろくな対空設備もなく、一方的な空爆であった。

カンダハルの市街地には、1発も爆弾を投下していないのだが、12月7日、カンダハルのタリバン司令官から、降伏の申し出があった。

ガル・アタ・シャルザイとODA583は、カンダハルへ入場し、タリバンの武装解除を行った。こうして、アフガン南部最大の都市、カンダハルが陥落した。


次回更新は、2月6日「戦闘終結」です。お楽しみに。
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Posted by 友清仁  at 07:00Comments(0)Story(物語)