2010年04月21日

ハミッド・カルザイ Hamid Karzai

ハミッド・カルザイは、1957年12月24日、アフガニスタン南部のカンダハル付近のカルズ村で生まれた。彼の祖先は、アフガニスタンの王家ザヒル・シャーの一族である。彼の祖父、ハル・モハマド・カーンは、アフガン独立戦争時には、交渉役を務め、叔父のハビドゥル・カルザイは、アフガンの国連大使を務めるなど、アフガニスタンでは、名門中の名門である。

学生時代は、インドのヒマチャールプラデシュ大学において政治学を学んだ。そのため、ペルシア語、ウルドゥ語、ヒンディー語、英語およびフランス語に堪能である。

その語学力と政治的知識を買われ、ソ連のアフガン侵攻時には、ムジャヒィデンの資金集めに世界中を奔走した。このときにCIAとの接触があったようである。1992年、ソ連軍撤退後に成立したブルハヌディン・ラバニ政権では、外務副大臣を務めた。

1990年にタリバンが台頭してくると、派閥抗争を繰り返すラバニ政権に絶望していたカルザイは、タリバンの支持者となったが、叔父がタリバンに処刑されると、一転して反タリバンとなる。タリバンは、カルザイに国連大使となるように依頼したが、カルザイは拒否し、パキスタンのクエッタへ追放されてしまう。

1999年7月14日、タリバンは、カルザイのもとへ刺客を送り込む。カルザイは、かろうじて難を逃れたものの、父親のアブドゥール・カルザイが殺害されてしまう。

2001年、カルザイは、打倒タリバンを志す。北部同盟防衛大臣のマスード将軍と接触し、情報提供や資金援助などを行なうようになる。この頃には、CIAにも、タリバンおよびアルカイダの情報を提供していた。

9・11テロが起こることも報告していたが、アメリカはまったく対応しなかった。さらに、マスード将軍も、アルカイダの刺客に暗殺されてしまう。この状態に失望したカルザイは、その後、アメリカやその他の組織との連絡を一切絶ち、隠遁生活を送るようになる。



次回更新は、4月28日 「トラボラの戦い」です。お楽しみに。
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Posted by 友清仁  at 07:01 │Comments(0)knowledge base(基礎知識)

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