2013年03月27日

アボタバード Abbottabad 3

バグラムに赴任したばかりの情報将校から罵倒されたベッカーは、その足で、同基地のCIA秘密作戦部長のもとへ行き、パキスタンのアボタバードに侵入する準備が整った旨を伝えた。

作戦部長は、バグラムに赴任早々、乞食の真似事をしているベッカーの行動に首を傾げていたのだが、その時、ベッカーの考えを理解し、直ちに潜入チームを組織した。そして、夜陰に紛れ、ベッカーを単独でアボタバードに潜入させた。

ベッカーは、その後、乞食のふりをして街中を探索し、CIAの活動拠点となる建物を物色し、良い物件が見つかると、即座にバグラムに報告した。その数週間後、CIAは、「合法的」にその物件を取得し、パキスタン人に変装したCIA局員を派遣してきた。以来、ベッカーは、その物件(セイフ・ハウス)を中心に諜報活動を開始した。

なぜ、アボタバードなのか?という疑問が読者の中に起こっているだろう。これを説明するためには、10年前のアフガン戦初期までさかのぼる。

特殊部隊の空爆を駆使した奇襲攻撃により、あっけなくアフガニスタンの首都カブールが陥落すると、タリバンおよびアルカイダ首脳は、パキスタン国境のトラボラ地帯へ逃げ込んだ。トラボラには、かつてソ連軍と戦ったときに建設された巨大地下壕があると考えられていたからだ。

実際には、そのような地下壕は存在せず、せいぜい洞窟の壁をコンクリートで固めた程度の、(これも、CIAがムジャヒィディンを支援する拠点として作ったものだが)、があるだけだった。

わずか数十人の特殊部隊を、広大なトラボラ地帯に展開したため、ビンラディンに簡単に逃げられてしまったとされるが、これも間違いである。

トラボラでの掃討作戦が開始される前に、アメリカは、途方もない量のドル札と物資を、トラボラ地帯の族長にばら撒き懐柔し、ビンラディン追跡作戦に協力させた。

アメリカ軍は、寝返った族長とその兵士を使い、トラボラに潜むビンラディンを追跡した。アメリカが無尽蔵に出してくる金と物資、そして正確な空爆を目の当たりにした族長たちは、「我こそ官軍」と言わんばかりに、ビンラディンを追い詰めていった。

最終的に、グリーンベレーのSR25のスコープに、ビンラディンを捉えるほど肉薄し、最後の空爆で決着がつく、というところまできた。

この時、族長たちの間に微妙な空気が流れた。確かに族長たちは、アメリカの金と物資の前に屈し、アメリカ軍に協力してきた。その時は、ビンラディンがどこにいるのかも分からず、とりあえずトラボラのビンラディンを匿う勢力、(これは、長年、自分たちと、この地の権益を争ってきた敵対部族でもある)と戦った。アメリカ軍のおかげで、自身の勢力を拡大することもできた。まさに、アメリカ軍のおかげである。

しかし、戦闘が進むと、次第にビンラディンの居場所が、前述のとおり、スナイパーライフルのスコープにも捉えられるほど接近し、いよいよビンラディン殺害が現実味を帯びてきた。

族長たちは、アメリカ軍には多大な恩を被った。しかしその一方で、彼らにとってビンラディンは、かつてのソ連侵攻時、ソ連軍に対して勇敢に戦ったムジャヒィディンであり、英雄そのものであった。

なぜ、ビンラディンは、アメリカに対抗するのか、族長のレベルでは理解できない。アメリカがビンラディンを殺そうとするのは、9・11テロの報復であることは理解できる。だが、彼らの中で、祖国の英雄を殺すことに加担しても良いものか、という迷いが存在した。

グリーンベレーのCCTが、最後の空爆を要請した時、族長の一人が叫んだ。
「ビンラディンは降伏を願い出ている。俺はビンラディンと直接話した。間違いない」。

その発言に、空爆が急遽中止され、情報がワシントンへ飛んだ。
ワシントンとペンタゴンは、ビンラディン降伏の可能性を戦略科学的に分析し、その可能性が十分にあること、そしてその後の中東戦略的にも有効であると判断し、直ちに降伏を受け入れるように指令を下した。

ビンラディンと接触したという族長を通じて、降伏手続きの準備が開始された。ビンラディン側と、何回か使者が往復し、いよいよ、降伏受け入れとなったその日、その族長が姿を消し、以後、ビンラディンともコンタクトがなくなった。双眼鏡を覗いても、ビンラディンと思しき人物の姿も消えた。アメリカは騙された。

以来、ビンラディンの行方は全く知れず、パキスタンへ逃れた、ロシアに亡命した、イランに潜伏している、などの憶測に近い情報が錯綜した。

その後のCIAなどの調査の結果、イランなどの諸外国への逃亡・潜伏はないことが明らかになり、やはり、パキスタンのどこかにいる可能性が高いということになった。

パキスタンの首都イスラマバードにある、アメリカ大使館内に、捜索チームが編成された。しかし、パキスタン政府の「アメリカ人保護」の名目の下、絶えずパキスタン軍が大使館を監視し、思うような活動ができなかった。

そこで、アメリカは、パキスタンのあちこちの要所に秘密の活動拠点を作ることとし、その1つが、パキスタン軍の士官学校があり、軍人OBが大勢住んでいるアボタバードであったのだ。


次回更新は、4月10日「アボタバード」です。(1週お休みをいただきます)
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Posted by 友清仁  at 07:01 │Comments(0)Story(物語)

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