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Posted by ミリタリーブログ  at 

2011年06月22日

イギリス特殊部隊 SAS

お休みありがとうございました。今回はちょい長めです。

イギリス特殊部隊SAS/SBSは、アフガン戦が始まるとすぐにアメリカ軍と協働していた。正確な数字は決して公表されることはないが、アナコンダ作戦が始動される頃までで、おそらく80パーセント近い隊員が、アフガンで何らかの作戦に参加していたようである。イギリスSASのアフガニスタンにおける活動について、系統立てて解説しているものがないため、様々なメディアから、その活動を「点描」してゆく。

アフガン戦初期
情報筋によると、SAS/SBSは、20名ほどの隊員がCIAと同時期に極秘にアフガニスタンへ潜入したようであるが、CIAとは全く連絡を取り合わなかった。むしろ、北部同盟幹部との接触を優先させていた。しかし、平素からアフガンに対し諜報活動を行っていなかったため、不調に終わった。
このときの移動車両については、わざわざイギリス本国からランドローバー6輌を輸送し、現地で「NGO」スタイルに塗装した。CIAが現地で日本製4輪駆動車を購入したのとは対照的である。

バグラム空軍基地攻略
ODA555による空爆により、空港に駐屯していたタリバン軍が雲散霧消すると、直ちに空港の整備が行なわれた。整備が終わると、アメリカ軍は、大型輸送機による物資の輸送を開始する予定であったが、そこで「政治的」な擦が米英と北部同盟の間で起こった。

空港の攻撃をアメリカ軍にやってもらったうえ、実際に飛ばせる航空機など北部同盟軍は持っていないのだが、戦闘の「果実」である、空港の使用権について、北部同盟は強烈に主張したのだ。戦争前からアフガンに工作員を派遣し、アフガン人の性格や気質を研究していたアメリカ軍は、根気強く交渉を重ねたが、そんなことを知らないイギリス軍は、第47飛行隊に所属するC-130数機をバクラム空軍基地に着陸された。

これが北部同盟幹部の怒りを買い、着陸しているC-130に向かって銃撃が行なわれるほどの状態になり、パイロットを初めとするクルーたちは、丸2日、飛行機から出ることができなかった。
結局、北部同盟幹部の怒りが収まるまで、イギリスはアフガン国内に司令部をおくことができなかった。

カブール陥落後
アフガニスタンの首都カブールが陥落すると、アフガニスタンでの勢力地図は大きく変わった。アフガン北部の約40パーセントが北部同盟の支配下になり、南部の60パーセントがタリバンの勢力下となった。しかし、南部のタリバン勢力も次々と投降するようになり、アフガンの統一は時間の問題となった。

アフガン統一が進められてゆく一方で、首都カブールでは新たな火種がくすぶっていた。カブールの警察権をめぐって、最初に入城したアタ将軍と、後から入城した、北部同盟最大勢力のドスタム将軍がいがみ合いを始めたのだ。いがみ合いは日を追うごとに激しくなり、首都カブールで市街戦が行なわれる寸前までになった。

バグラム空港で北部同盟のひんしゅくを買っていたSASは、この調停役を買って出た。具体的には、カブールの実際の警察業務をすべて引き受け、その「手柄」をドスタム・アタ陣営の両方に均等に割り振ったのである。同時に大量の金や物資もばら撒いた。以後、似たようなことがアフガンの都市のあちこちでおき、その都度、SASが調停した。このため、SASもアフガンで発言権を持つようになる。

次回更新は、6月29日 イギリス特殊部隊 SAS 2です。お楽しみに。

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Posted by 友清仁  at 09:48Comments(2)knowledge base(基礎知識)