2010年08月25日

CIAとアフガニスタン CIA in Afghan

CIAは、第2次大戦終了後から中東情勢に注視しており、アフガニスタンの情勢にも通じていた。

1999年には、CIAは、パキスタン統合情報局(Inter-Services Intelligence of Pakistan)に接触し、工作員を派遣するようになった。この工作員の任務は、パキスタン統合情報局内に50名ほどのパキスタン人の「特殊部隊」を編成し、アフガンに侵入の上、ビンラディンを逮捕することであった。しかし、1999年10月に、ムシャラフ大統領のクーデターにより、この「特殊部隊」は、解散を命じられた。

外国の諜報機関内に、アメリカの意思を実行する特殊部隊を編成するなど、国際問題に発展しかねないことであったが、この「特殊部隊」も、ビンラディンを逮捕できたかどうかは疑わしい。

なぜなら、CIAは、パキスタン、アフガンおよびイランなど、ビンラディンが潜伏していそうな地域に、膨大な経費をかけて訓練を施したCIA特殊作戦グループをいくつも潜入させていたのだが、1999年9月の時点で、ビンラディンの所在はもとより、アジトの正確な場所すら把握していなかったのである。

パキスタンでの作戦が失敗に終わると、CIAは、北部同盟を軸にした作戦に切り替えた。北部同盟に大量の資金や物資を供給することで、北部同盟司令部に工作員を常駐させることに成功した。一説によると、たったこれだけのことで1億5000万ドル(約135億円)もの資金を投じたとされる。

しかし、これだけの資金を投じてもなお、北部同盟首脳陣は、状況が悪くなると約束を反故にすることがたびたびあった。なぜなら、ロシアやイランの工作員が、CIAよりもはるか以前に北部同盟内におり、同盟内のタジク、ウズベクおよびアゼルバイジャンの指揮官に計り知れない影響力を持っていたのである。北部同盟からすれば、いくら大量の資金を提供されたとはいえ、すぐには、「新参者」のアメリカの言いなりにはなれなかったのである。

北部同盟への援助に加え、CIAは、秘密工作員を人道援助や救助活動員などに偽装させて、アフガニスタン南部に侵入させた。南部には、反タリバン勢力である、パシュトゥーンおよびアゼルバイジャンの部族が多かったためである。しかしこの活動も芳しいものではなかった。2000年時点の協力者は、わずか10名ほどであった。

次回更新は、9月1日 「ラムズフェルド」です。お楽しみに。
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Posted by 友清仁  at 07:00 │Comments(3)knowledge base(基礎知識)

この記事へのコメント
久しぶりにコメントします。毎週読むのを楽しみにしていますよ!

一つ質問よろしいでしょうか?アフガニスタンにはCIAより先にロシアやイランから工作員が潜入していたとありましたが、当時のそれらの国々の思惑や、ビンラディンとアルカイダに対してのスタンスを教えて頂けるでしょうか?

不勉強なもので恥ずかしいのですが、よろしくお願いします。
Posted by フクヤマ at 2010年08月25日 23:22
フクヤマ さま

ロシアは、旧ソ連時代にアフガンから撤退したものの、南進政策については、根本的な変更はなく、アフガニスタンに影響力を持とうとしていました。

イラン、パキスタンも同様に、政治的空白の隣国に影響力を持つべく、北部同盟に資金援助をしていました。

ロシアおよびイランは、どちらかといえば北部同盟支持であり、パキスタンは、タリバン支持でした。しかしそれらの国々は、北部同盟とタリバンを天秤にかけていたのも事実です。

つまり、どっちに転んでもアフガンに影響力を残そうとしていたのですね。
Posted by 友清仁友清仁 at 2010年08月26日 08:18
自国の影響力を残せればどっちが勝っても構わないというのは、いかにも諜報戦らしい、グレーな感じですね。

分かりやすい解説ありがとうございました。
Posted by フクヤマ at 2010年08月26日 20:18
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