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Posted by ミリタリーブログ  at 

2012年06月20日

J-DAM

本ブログでも度々登場するJDAM(Joint Direct Attack Munition・・・統合直接攻撃弾)とは、爆弾そのものではなく、実は、爆弾に追加で取り付ける精密誘導装置のことであるが、この装着後は爆弾を含む全体を指してJDAMと呼ばれることが多い。

JDAMには、INS(Inertial Navigation System・・・慣性誘導装置)とGPS受信機が組み込まれ、2つの方式を併用した誘導装置が尾部の制御翼をコントロールして、外部からの誘導なしに設定された座標へ高精度で着弾させることができる。

公表値では、投下地点を中心に最大25kmまでの範囲の目標へ誘導する能力を爆弾に付加できるようになっている。

JDAMは、空力制御翼面を備えた尾部セクション、ストレーキ部、尾部内に収められた慣性誘導とGPSによる誘導制御ユニットより構成され、JDAMキットが取り付けられた爆弾には「Mark 80」など名称が変わり、GBU(Guided Bomb Unit・・・誘導爆弾装置)と云う名称コードが与えられる。

JDAMの誘導システムは、誘導制御ユニット内の慣性誘導システムとGPSが自身の位置と方向を割り出し、尾部の空力制御翼面を動かすことで、着弾目標の座標へ高精度で誘導する。

目標座標は、離陸前に航空機から入力する方法と投下直前に搭乗員の手動による方法がある。これに加え、「ライトニング2」や「スナイパー」照準ポッドのような搭載照準装置からデータリンクを通じた入力が可能になっている。

JDAMは、超低高度から超高高度で、水平飛行中はもとより、上昇・急降下などの体勢であっても投下することができる。

つまり、従来型の精密誘導ユニットが搭載された爆弾は、爆弾のシーカーが確実に目標を視野に捉えられるように目標に向かって飛行しなければならないが、JDAMではそういった制約は無く、目標とは異なった方向に飛行しても投下でき、命中する。


湾岸戦争時、中高高度からの非誘導兵器の投下の命中精度の悪さや煙幕や砂塵などの障害による空爆時の空対地攻撃兵器の能力不足が強く指摘された。

このような問題を解決するために、1992年、「悪天候精密誘導弾」の研究が開始され、97年にJDAMの試作が完成した。500発近くのJDAMが投下されたテストでは、10m以下のCEPで95%を上回り、まさに百発百中の精度を確立し、すぐにアメリカ軍に採用された。

JDAMが初めて実戦に投入されたのは、1999年のコソボ紛争でのアライド・フォース作戦(Operation Allied Force)である。

JDAMを搭載したB-2ステルス爆撃機がミズーリ州のホワイトマン空軍基地から無着陸で30時間の往復飛行を行い、合計650発のJDAMを投下した。

詳しい戦果は報告されていないが、ある軍事専門誌によると、「アライド・フォース作戦で投入されたB-2は、651基のJDAMを投下し、96%の信頼性と計画された目標の87%に命中した」と述べている。

初期型JDAMのアライド・フォース作戦での成功によって、500ポンドのMark 82爆弾と1,000ポンドのMark 83爆弾へも計画が拡大され、1999年末には開発が始められた。


このように華々しい戦果と性能を見せたJDAMであるが、機械である限り正しく運用されなければ、重大な事故を招くことがある。

2001年12月、B-52がアフガニスタンに展開する地上軍の求めに応じ、JDAMを投下した。しかしこのJDAMは、対タリバン勢力のリーダー、カルザイと彼を護衛する特殊部隊に着弾し、特殊部隊数名が死亡、カルザイも負傷した。

のちの事項調査で判明した原因は、特殊部隊のCCTがGPSの電池を頻繁に交換したため、その際にGPSがリセットされてしまったことと、そのことに気がつかずに空爆要請をしたため、自分の座標を爆撃機に伝えてしまったために起きたとされた。(しかし公式の発表は未だにありません・・)

その後、不朽の自由作戦とイラクの自由作戦の教訓を得て、海空軍は移動目標へ対応するため、終末誘導用精密シーカーだけでなくGPS精度の向上も進め、レーザー誘導型のLJDAMが開発された。


次回更新は、6月27日 「誤爆」です。お楽しみに。
ご意見・ご感想をお待ちしております。
B52の翼下に取り付けられたJ-DAM
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Posted by 友清仁  at 07:02Comments(2)knowledge base(基礎知識)

2012年05月30日

B-52

B-52とは、ボーイング社が開発した戦略爆撃機であり、愛称はストラトフォートレス(Stratofortress:成層圏の要塞)である。

アメリカ軍は、第二次大戦が集結直後から、大規模空爆、すなわち戦略爆撃の効果と重要性を認識し、時速500km、航続距離8,000kmを超える大型爆撃機の開発を開始していた。

1946年には、ボーイング社がターボプロップエンジンを6基搭載した試作機(モデル462)をアメリカ軍に提出し、本格的な開発が始まった。

その後も核兵器運用能力や空中給油能力などの改良が加えられ、さらに、1948年にはターボプロップエンジンから後退翼とジェットエンジンを装備したモデルに変更され、現在のB-52の原型ができあがった。

1950年代には、コンベア社とボーイング社との間で、B-52の開発競争が起こった。ボーイング社の機体は、ゼロから開発し非常にコストがかかることに着目したコンベア社は、既存の機体の部品を流用するYB-60を提案した。

しかしながら、爆弾積載量以外でボーイング社の機体を超えることができず、結局はボーイング社の機体が次期戦略爆撃機として採用されることになった。

冷戦期のB-52は、戦略パトロール任務(airborne alert duty)に着き、B-52は、ソ連周囲を遊弋し、核戦争の際に先制攻撃や報復攻撃を即時行えるように待機していた。そのために、大量のB-52が生産され、最大で744機が製造され実戦配備についた。

冷戦期には、大陸間弾道ミサイル、戦略原潜とともに、戦略爆撃機として十分な抑止力を発揮したB-52であったが、冷戦終結後に結ばれた第一次戦略兵器削減条約(START I)により365機のB-52が廃棄され、1991年にB-52は戦略航空軍団において24時間の警戒態勢を解除された。

その一方で、B-52は通常爆弾や通常弾頭ミサイルを搭載して多くの実戦に参加している。ベトナム戦争では、「ローリング・サンダー作戦」、「ラインバッカー I作戦」などに投入され、特に、ラインバッカー II作戦では、150機のB-52による夜間絨毯爆撃でハノイやハイフォンを焼け野原にした。

湾岸戦争では、ディエゴガルシア島を基地にして、無誘導爆弾のみならず巡航ミサイルも使用し、35基のAGM-86C CALCMを発射し、作戦に貢献した。

その後、開発されたGPS/INS誘導爆弾 (Joint Direct Attack Munition) を搭載することにより精密爆撃が可能となり、2001年のアフガニスタン侵攻および2003年のイラク戦争でもJDAMを使用して爆撃を行った。

この活躍により、滞空時間が長く多量の爆弾を搭載できるB-52爆撃機の存在は高い評価を受けることとなった。

B-52は2012年現在、初期型の配備からすでに60年以上が経過している。適宜、大幅な改良を受けたとはいえ、これほどの長寿は爆撃機として極めて異例であり、アメリカ軍もここまで長い運用は考えていなかったに違いない。

もちろん、後継機の開発はすすめられていたが、最終的にB-52を完全に代替するものではなかったようである。

例えば、B-58やXB-58などの超音速爆撃機は、速力でB-52をはるかに上回ったが「高高度を高速で飛行し、敵の防空網を突破する」という戦略爆撃機の基本戦術が、対空ミサイルの発達により事実上不可能になったため、その存在価値が失われ、試作機のみで終わった。

その後、ステルス能力を備えたB-1、B-2などが開発されたが、アメリカ軍の高度な総合的な航空戦力の運用能力(戦闘機、大型輸送機および空母)のおかげで、「多種多様な兵器を、大量に搭載し遠方に投下する」性能については、B-52で充足しており、本格的な更新には至っていない。

現在使用されているB-52は、最終量産型であるH型、71機だが、アメリカ空軍は今後も延命措置などを行い現役に留める予定である。当面は2045年までの予定とされるが、さらに延長される可能性もある。

B-52のパイロット全員が「B-52よりも年下」である。今後は、「親子2代でB-52に乗っている」ということも珍しくなくなるかもしれない。


次回更新は、6月6日 「掃討戦」です。お楽しみに。
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Posted by 友清仁  at 07:01Comments(0)knowledge base(基礎知識)

2012年05月09日

カンダハル Kandahar

カンダハル(Kandahar、Candahar、Qandahar)は、標高1005mのアフガニスタン南部に位置し、2011年時点で、51万人の人口を擁するアフガニスタン第2の都市である。

都市の西部には、アフガニスタンの数少ない河川であるアルガンダーブ川が流れている。古来より、この街にはパシュトゥーン人が多くすみ、政権や最大勢力を持っていたため、パシュトゥーン人の文化が街のあちこちに見ることができる。

カンダハルには、この国で唯一の国際空港がある。主な航路はインド行きである。主要な道路が四方に伸び、西へ行くとファラーおよびヘラート、ガズニがあり、東北へ向かうとカブール、北へ進むとタリン・コット、南にはクエッタがあり、まさに交通の要衝である。

主な産業は、農業や牧畜であり、都市周辺には、ザクロおよびブドウ畑が広がり、都市では、それらを乾燥させて商品にしている。穀物や果実、タバコだけでなく、羊、羊毛、木綿、絹、フェルトなどが生産され、同時に、それらが大きく取引される商業都市でもある。

カンダハルの地名が歴史上に現れるのは、紀元前4世紀ごろで、アレキサンダー大王の遠征時の記録である。その後、数百年に渡り、多くの南・西・中央アジア国々が、この都市をめぐって抗争を繰り返した。古代、中世の歴史は割愛する。

1709年、ミルワイス・ホタクが、この地に王朝を開き、カンダハルの原型を作った。次いで、ハミド・ドゥッラーニが、現在のカンダハルの形に整え、アフガニスタンの首都とした。

1978年の共産勢力による革命が起こると、カンダハルは、パキスタンに拠点を置くハッカーニやアルカイダなどの活動拠点となった。

(冷戦期はCIAがそれらの組織を支援していたが、ソ連のアフガン撤退後は、タリバン政権およびパキスタン三軍統合情報部の支援を受けていた。注目すべきは、アルカイダでさえ、冷戦期には、CIAの支援を受けていたことである)

1994年後半から2001年までタリバン政権の中心地であった。2001年末、アメリカ軍の攻撃により陥落し、ハミド・カルザイの勢力に降伏した。


次回更新は、5月16日「掃討戦」です。お楽しみに。
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2012年02月15日

ブラックホーク BlackHawk! 3

ある法執行機関から受けた依頼とは、ある決まった形の装備品ではなく、兵士個人が必要に応じてポーチを取り付けることができ、またその位置を自由に変更できるようなベストやベルトを開発して欲しいというものでした。

当時、CQBやルームクリアリングの戦闘方法が研究され始め、その過程で、集団の中でのチームワークを重視する考えが起こり、チームメンバーの役割を細分化するようになったのです。

そのため、同じ突入チームのメンバーでも、個人によって持ち物が異なり、それに対応するには、一律の既製品ではなく、全く新しいタイプのベストが求められたのです。

この時すでに、ボタンやベルクロなどでポーチなどを自由に配置できるものがありましたが、ボタンが壊れてしまうと機能しなくなったり、簡単に外れてしまったりして、あまり評判がよくありませんでした。私たちは、従来のHやYハーネスに様々な工夫をして、要望に応えようとしましたが、うまくいきませんでした。

たとえば、車両の乗り降りを頻繁に行う兵士は、ピストルやポーチを一列に並べたいと思うし、その一方で、徒歩でパトロールする兵士は、胴体だけでなく足にもいろいろな装備を取り付けたいと思っていたのです。

1つのサンプル作って提出しても、また別の要望が出てきて、それに応えるためには、また初めから考えるといったことが繰り返されました。

幾多の試行錯誤を経て、現在のモールシステムが出来上がりました。このモールシステムにより、兵士個人の要望に応じて自由にポーチを配置でき、さらに多重のモールにより、外れにくい完全なものとなりました。法執行機関の担当者や現場の兵士の絶賛の言葉を、私は未だに忘れることができません。

この法執行機関での成功が、アメリカ軍の装備担当者の目にとまり、モールシステムは、一挙に全軍に配備することになったのです。カラーも黒一色から、タン、OD、さらに寒冷地や山岳地帯仕様まで増えました。

このモールシステムにより、兵士は、従来の何倍もの装備を所持することができ、さらに自分が必要なものを一番使いやすいところに配置することができるようになりました。私は、向こう10年間は、モールシステムに勝る改良は現れないと思います。

我々は、現場の兵士の意見を最優先に考えています。ある時、ハンドガンに装着できるタイプのタクティカルライトが発売されたのですが、ライトが発売されてから6ヶ月経っても、それに対応するホルスターが発売されていない、という、ある法執行機関の方の意見が、当社のカスタマーセンターに届けられました。

私は、すぐに開発部門に命じて、対応するホルスターを制作させました。当時の開発部門責任者は、あまり市場性がないことを理由に開発を渋っていましたが、たった一人の兵士が思っていることでも、それは間違いなく1000人の兵士が思っているに違いないという私の信念を伝え、開発し、発売しました。

ブラックホークでは、様々なことを考慮して、兵士が求めるすべての製品を開発し、外注することなく、すべて自社生産でおこなっています。

数年間の当社の目標は、バラバラになっている製品開発部門の統合と集中です。ブラックホークには、現在、装備品ごとに10のブランドがあります。これらを統合し、より効果的、機能的な装備の開発に取り組んでいく所存です。

注:このインタビューは、2006年12月に行われたものであるため、現在の状況と異なる記述もあることをお断りしておきます。

次回更新は、2月22日「タリン・コットの戦い」です。お楽しみ。
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