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Posted by ミリタリーブログ  at 

2014年03月05日

いきなり終了で申し訳ございませんが・・・・

題名の通りでございます。
特に外的な要因があったわけではございません。早くイラク戦に取り掛かりたいという気持ちが日に日に強くなってまいりまして、このままダラダラと続けるよりは、すっぱりとアフガン戦を終えて、イラク戦の新しいブログを始めたいと思いました。

今年は、同人誌の「ミリタリーナレッジレポーツ」も、読者の皆さんのご意見やご要望を受けて、精力的にやってゆきたいと思っています。さらに、同人即売会にも積極的に参加してゆくつもりです。(今のところ24イベントに参加予定)

総合して考えてゆきますと、この3月という時間は、いろいろなことの準備期間に充てたほうが、今後の活動のためになると考えた次第であります。

4年強という長きに渡り、読者の皆さんの応援をいただき、本当にありがとうございます。読者の方々がいたからこそ、続けられたのだと思います。

また、このブログがきっかけで、同人誌という手段ではありますが、「コアなマニアのためのミリタリー書籍の充実」という、私の大きな目標といいますか、夢の実現の手段も手に入れることができました。この4年間で、私も成長した気がします。

時期は未定ですが、イラク戦を取り扱った新ブログ
「Special Forces in Iraq
Capture Saddam Hussein」

を始めます。そのときまで、しばらくお暇をいただきます。

いままで、本当にありがとうございました。


参考文献 カッコ内は出版社
「Special forces in Afghanistan」、「Special forces in Iraq」(Historic & Collection)、「Special Forces in action」(Lyons Press)、「Warrior ELITE」(Ulysses Press)、「Navy Seal Sniper」(Skyhorse Publishing)、「JAWBREAKER」(Crown publishing)、「Kill Bin Laden」(Harper Luxe)、「Special Operations Forces in Afghanistan」、「Special Operations Forces in Iraq」(Osprey Publishing)、「First in Afghanistan」(Ballantine Books)、「KILL BIN LADEN」(Discovery Channel)、週刊ワールドウェポン各号(デァゴスティーニ・ジャパン)およびCNN、BBCなどのニュース






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タグ :特殊部隊


Posted by 友清仁  at 07:00Comments(9)knowledge base(基礎知識)

2014年02月26日

コンクルージョン conclusion

いよいよ、このブログも終わりに近づいてきました。最後というわけではありませんが、アフガン戦争をまとめてゆきたいと思います。
しばらく、論文調の文体となりますが、よろしくお願いします。


これまで知識編や物語などで解説してきたアフガニスタン戦争(2001年-現在)とは、当時、アフガン国内で進行中であったアフガン内戦に9.11同時多発テロをきっかけにアメリカ軍を主体としたNATO軍が「テロとの戦い」を名目に介入した戦争であるといえる。

当時のアメリカ大統領、ジョージ・ブッシュは、9.11テロの直後、タリバン政権に対し、オサマ・ビンラディンの引渡しとアルカイダの追放を要求した。この要求に対し、タリバン政権は、ビンラディンが9.11テロに深く関与している明確な証拠がないことを理由に、ビンラディンの引渡しを拒否し、その代わり、ビンラディンが自主的にアフガニスタンから出国すると通知して来た。しかし、出国日時を明言しなかったため、事実上の拒否といってよかった。

この回答を受けて、アメリカ政府は、これ以上の交渉は意味がないと判断し、2001年10月7日、イギリスとともに不朽の自由作戦を開始することを決定した。英米は、タリバンの対抗勢力の北部同盟と結び、空爆と特殊部隊を中心とした作戦を実施し、わずか1ヶ月で首都カブールを占領し、タリバン政権を駆逐してしまった。

その後、NATO軍は、アフガンの要所に駐留地を建設し、アフガニスタンの統治を開始したが、タリバン・アルカイダ首脳のほとんどがパキスタン国境の山岳地帯へ逃走してしまい、同勢力を完全に消滅させることができなかった。

2001年12月、国連安全保障理事会は、国際治安支援部隊(International Security Assistance Force・・・ISAF)を設立し、アフガン国内の治安維持と、アフガン国治安維持軍(Afghan National Security Forces)の訓練を行うことを決定した。

2001年12月のボン会議で、ハミト・カルザイがアフガン暫定政府の責任者に選出され、翌2002年、カブールで開かれたロヤ・ジルガ(遊牧民族の中で開催される族長会議)にて、アフガン国内でも正式に首長として認められた。2004年の普通選挙でカルザイは大統領に選出され、国号は、アフガニスタン・イスラム共和国となった。

2003年になると、NATO軍は、43カ国からなるISAFが当面のアフガニスタン政府の行政を行うと発表した。ISAFは国連により設立された組織とはいえ、その大部分がアメリカ軍とその関係者であった。しかも、駐留しているアメリカ軍とISAF軍を比較しても、アメリカ軍のほうが圧倒的に多く、アメリカ軍の中にISAFが存在していると言ってよかった。事実、ISAF指揮下のアメリカ軍と中央作戦軍直属のアメリカ軍が混在していた。

この事実上のアメリカ支配に反発するかのように、同年、タリバン政権首班であったムハンマド・オマルが、タリバン軍残党を結集して蜂起した。

タリバン軍は、ハクニ連合体(Haqqani Network)およびハズビ・イスラム・ゴルブディン(Hezb-e-Islami Gulbuddin)を主体とした部隊がISAFに対し数で圧倒したものの、戦法は、ゲリラ戦や待ち伏せ攻撃が主体であった。

これらの戦法に、次第にアメリカ軍が対応できるようになると(タリバンは、ある戦法が1度成功すると、それを何回も繰り返す習性があった)、都市部へ侵入して自爆テロを繰り返すようになった。また、このころから「裏切り者への報復」と称して、ISAFへの協力者に対するリンチも行われるようになった。

このような戦法は、長期間にわたる内戦で苦しんでいた国民にとっては、やっと訪れた平和を破壊する行為にしか思えず、タリバンは、都市部では急速に支持を失っていった。

アフガン国内での支持を失ったタリバン勢力は、アフガン北部でアメリカ軍に武力で対抗するよりも、南部に移り、ゲリラ戦を継続しつつも、暫定政府の腐敗を宣伝する情報戦に切り替えた。

このようなタリバンの方針変更に対し、ISAFも、2006年に部隊を大幅に増強し、対ゲリラ作戦として、クリア・アンド・ホールド作戦を実施し、村々の武器弾薬を回収し、アフガン全土の武装解除を行った。一方で、タリバンの情報戦に対しては、「国家建設計画」を発表し、人心収攬作戦として、ハート・アンド・マインド作戦を開始した。

これらの作戦が功を奏し、タリバン残党は、パキスタン北西部の山岳地帯に残るのみとなった。(南部は、人が住めいないような砂漠地帯であり、南部タリバン勢力は、同地で反抗しているというよりも、そんな場所へかろうじて逃げ込んだといったほうが正しい)

2011年5月2日に、アメリカ海軍特殊部隊シールズにより、パキスタン、アボタバードに潜伏していたオサマ・ビンラディンが殺害された。その3週間後、NATO軍首脳は、ISAF軍などを撤退する声明を発表した。

国連の支持の下、アフガン政府とタリバンとの間で、和平交渉が開始された。2013年の時点で、何万人にも人々が戦火の犠牲なった。多くが民兵や一般市民である。さらに、4000名以上のISAF兵士および民間人、さらに1万人のアフガン国軍の兵士が犠牲になった。


次回更新は、3月5日です。ご意見・ご感想をお待ちしております。

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Posted by 友清仁  at 07:00Comments(1)knowledge base(基礎知識)

2013年08月07日

シールズ・チーム6 Seals team 6 2

シールズ・チーム6は、公式には、DEVGRU(デヴグル)と呼ばれ、1980年に創設され、初代司令官は、リチャード・マルチェンコであった。DEVGRUとは、海軍特殊戦開発グループであり、正式名称のUnited States Navy Special Warfare Development Groupである。

この組織は、1979年のイラン・アメリカ大使館人質事件(イーグル・クロウ作戦)での失敗を教訓にして、当時、編成されていたシールズの6番目の部隊として編成された。その後、いくつかの変遷を経て、1980年代後半に、現在のDEVGRUと呼ばれるようになった。(しかし、現在でもチーム6と呼ばれることもある) このことから、テロ対策専門の部隊であることがわかる。司令部はバージニア州ダムネックにある。

組織的には、海軍特殊戦コマンド(SOCOM)の隷下に置かれるが、その任務の特殊性から、デルタフォースとともに、統合特殊作戦コマンド(JSOC)の指揮・統括を受ける。

DEVGRUは公式には、アメリカ海軍特殊戦コマンドで運用される陸・海および空挺における戦術と技術の試験・評価・開発を行うとされているが、アメリカ政府ではDEVGRUがJSOCの指揮下で実際の特殊作戦に従事していることを公式には認めていない。 しかしその任務内容は、対テロ、(大量破壊兵器)拡散阻止、敵国内における高価値目標の奪還・暗殺である。

隊員の選考基準は、現役シールズの中から、実戦経験、体力や実射技能はもとより、言語能力を考慮されて、任命される。まさに、シールズの中のシールズと呼ばれるに相応しい部隊であり、予算もふんだんに割り振られているとされる。(組織上、存在していない部隊であるため、予算が組まれることがない)

配属後1年目の訓練は、年間365日、休暇が半日2回のみといわれ、東海岸の拠点だけでなく、国内数箇所を転々する。訓練内容は、海上における船舶強襲、海上油田の制圧、高高度パラシュート降下、そして実射訓練など、実戦さながらの訓練が行われる。非常に過酷な訓練であるため、訓練中に、死者が出ることもある。

射撃訓練では、隊員1人が1週間で3000発の弾を射撃し、発足時の90名が年間に消費した弾薬数がアメリカ海兵隊全体の消費量を上回ったといわれる。

DEVGRUが参加した作戦には、1983年のグレナダ、1992年のソマリア、2001年からアフガニスタンでの作戦がある。中でも有名な武勇伝として、ソマリアで、リチャード・フィリップ大尉救出作戦があり、DEVGRUスナイパーは、フィリップ大尉をホールドアップしていたテロリスト3名を、100メートル離れた揺れるボートの上から、正確に狙撃し、大尉を開放した。


次回更新は、8月14日「シールズ・チーム6」です。
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Posted by 友清仁  at 07:00Comments(0)knowledge base(基礎知識)

2013年02月27日

アフガンに展開したODAについて ODA in Afghan

タスクフォース「ダガー」 不朽の自由作戦
不朽の自由作戦で編成された多くの統合特殊作戦軍は、統合特殊作戦タスクフォース「ノース」であり、タスクフォース「ダガー(小剣)」として知られている。

TKダガーは、旧ソ連/ウズベキスタン、カルシ・ハナバード空軍基地の近くに、「K2」という秘密基地をつくり、そこを拠点としていた。所属していた部隊は以下のとおりである。
・第5特殊作戦軍
・第160特殊作戦航空連隊(SOAR)
・空軍特殊作戦軍(AFSOC)


TFダガーの目的は、北部同盟指揮官の連携と、アフガン北部のタリバン主要拠点への前進を支援することである。戦争が進行するにつれて、第5特殊作戦群の兵士がアフガン南部のパシュトゥーン人で構成される軍と合流した。


ODA 555 → ショマリ平原、バクラムおよびカブール
第5特殊作戦群から12名の特殊部隊が編成され、パンシジール渓谷へ侵入し、CIA工作部隊ジョーブレーカーと合流した。グリーンベレー隊員がAN/PEQ-1 SOFレーザーマーカー、GPSなどを持ち込み、作戦を助けた。CIAと北部同盟首領ファヒム・カーンと協力し、ODA555は、ショマリ平原に展開するタリバン軍に対し、空爆を行った。

タリバン軍がショマリ平原から駆逐されると、さらに大規模な空爆を要請し、バグラム空軍基地に残っていたタリバン軍を全滅させた。その後、直ちにファヒムの軍が基地を占領した。11月13日、ODA595およびジョーブレーカーの支援を受けて、カブールは、ファヒム将軍の軍隊により占領された。

ODA 595およびODA 534 → マザリシャリフおよびダリ・ア・ソーフ渓谷
TFタガーの第2侵入部隊は、ODA595である。は10月20日、第160特殊航空連隊のチヌークにより、ヒンドゥークシ山脈を越えてアフガンに侵入した。ODA595は、マザリシャリフ南部にあるダリ・ア・ソーフ渓谷に侵入し、CIAと北部同盟最大軍閥のドスタム将軍と連携した。

ODA595は、アルファおよびブラボーの2部隊に分割された。アルファは、ドスタム将軍とともに、空爆によるマザリシャリフ攻撃を行い、ブラボーは、ダリ・ア・ソーフ渓谷のタリバン拠点を空爆した。

別の特殊作戦チームである、ODA534は、SOARのヘリにより11月2日にアフガンに侵入し、北部同盟司令官モハマド・アタ将軍を支援した。ODA534とCIA工作員は、最終的にODA595とドスタム軍とマザリシャリフ郊外で合流した。
2つのODAおよび派遣されたAFSOCは空爆を行い、北部同盟のマザリシャリフ攻略を支援した。

ODA 585
10月23日に侵入し、クンドゥズ周辺の作戦を支援するため、北部同盟司令官ブリアーと連携した。

ODA 553
11月2日、ODA553は、アフガン北部のバーミアン渓谷へ侵入し、カリム・ハリリ将軍と連携した。

ODA 586
アフガンのさらに北のタハール州では、ODA586は、ダオド・カーン将軍を支援し、州都であるタロカンを占領した。ODA586は、カーン軍に11日間にわたる大規模な空爆で支援し、11月26日、クンドゥズ州の州都のクンドゥズを占領した。北部同盟に占領されるまで、クンドゥズには、タリバンおよびアルカイダの首脳が逃げ込んだと思われていたが、実際はそうではなかった。

ODA 574
ODA574は、11月14日、SOARのブラックホークにより、パシュトゥーン人リーダーであるハミッド・カルザイとともに、タリン・コット付近に侵入した。カルザイ軍は、南部カンダハルの攻略を目的としていたが、作戦中、空軍のGPS誘導の2000LbのJ-DAMの誤爆を受け、大被害を受けた。

ODA586、ODB570およびODA523の支援を受け、カルザイは、カンダハル周辺のタリバン軍に降伏と帰順を求めた。

ODA583
ODA583は、最南端のシャン・ナライ渓谷から侵入し、ガル・アタ・シャルザイを支援し、カンダハル攻略を目指した。ODA583は、カンダハル空港を見下ろす地点に監視所を作り、数日間、観察した後、空港の脆弱な部分を見つけ、空爆を行った。

12月7日、ODA583およびシャルザイ軍は、空港を占領し、その後、カンダハルも占領した。その後、すぐに北から侵攻したカルザイ軍と合流した。


次回更新は、3月6日「KBL」です。お楽しみに。
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