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Posted by ミリタリーブログ  at 

2011年05月25日

カナダ特殊部隊Canadian Special forces

2002年1月末、カナダ防衛大臣であるアーサー・エグルトンは、猛烈な非難に晒されていた。カナダ特殊部隊をアフガニスタンに派遣し、攻撃的任務についていることをジャン・クレティエン首相および議会に事前に諮らなかったからである。

この非難の波は、カンダハル空港の滑走路で、がタリバン/アルカイダ捕虜が米軍のヘリから連れ出されている写真に、12名のカナダ軍特殊部隊が写っていることが公表されたことが発端となった。カナダ政府は、アフガニスタンには民生支援軍しか派遣しないと宣言していたのだが、これにより隠密裏に対テロリズム部隊がアフガニスタンに派遣されていることが明らかになった。

カナダ軍がアフガニスタンにいること自体は問題とならなかったが、問題は、撮影された時点で、アメリカが彼らを戦争犯罪人として認めていないことであった。議会および人権擁護者などは、この行動や米軍の捕虜の扱いに対して抗議した。彼らの目には、カナダ軍も関与しているように見えたのである。

この抗議に対し防衛大臣は、4日前に司令部から報告を受けたと発言した。その後メディアからの追及を受け、実際には1週間前には報告を受けていたことを認めた。しかし「特殊部隊は、国際法を遵守している」と大臣は発言した。

カナダ本国で、猛烈な論争が繰り広げられている一方で、カナダ特殊部隊は、200名の隊員の中から30名ほどを2001年12月からアフガニスタンへ派遣していた。隊員達は、米軍と共同できるように、米軍と同様の装備をしていた。

このカナダ軍特殊部隊の創設は意外に新しい。もともとの組織は、王立カナダ騎馬警察(Royal Canadian Mounted Police)で、その中の、暴動鎮圧やテロ対策を行う特殊緊急対応チームである。創設時は300名程度の小規模な組織であったが、現在は、カナダ国軍に所属する2000名規模の部隊となっている。指揮官は中佐であり、将校は大尉のみ、あとは下士官で構成されている。

カナダ政府は、アメリカからの要請により、治安維持を目的としてパトリシア皇女第3軽歩兵大隊(3rd-PPCLI・・・Princess Patricias Canadian Light Infantry)とともに、特殊部隊であるJFT-2(Joint task force-2)を隠密裏に派遣していた。

第3軽歩兵大隊がアメリカ陸軍の第187戦闘大隊と行動を共にする一方で、JTF-2は、パトリシア皇女第3軽歩兵大隊(3rd-PPCLI・・・Princess Patricias Canadian Light Infantry)と共に行動することはなく、単独で行動することがほとんどであった。JTF-2を統括するカナダ国軍司令部も、直接指揮を執るというよりは、カナダ参謀本部と米軍との窓口といった役割であり、JTF-2は、アフガン現地で独自の判断で行動し、作戦完了後、司令部に報告したのみであった。

アメリカ軍の軍装で活動していたカナダ軍特殊部隊は、目立った行動がなかったが、長距離狙撃の世界記録を打ち立てた。アフガニスタン戦以前の長距離射撃の記録は、30年前のベトナム戦争時のキャロス・ハスコックが出した2,250メートルであったが、カナダ特殊部隊のゼヴォン・ドゥーハム軍曹が50口径マクミリアンライフルを使用し、2,430メートルの距離からアルカイダを狙撃し、その記録を塗り替えた。

次回更新は・・・・・すいません。本当に本業が忙しく原稿を書く暇がありません。
しばらくお休みをいただます。申し訳ありません。


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Posted by 友清仁  at 07:02Comments(3)knowledge base(基礎知識)

2011年05月11日

PJおよびCCT PJ &CCT

アメリカ空軍 パレレスキュー課程

「死んでいると思うな(That Other's May Live)」および「真っ先に乗り込め(First There)」がPJとCCTのモットーである。

空軍の仕事というと、多くの人が航空機を操縦し、敵地に爆弾を落としたり、敵機と戦ったりすることをイメージする人が多いが、近年、空軍の役割は大きく変わりつつある。かつて空軍のエリートといえば、上空のF-15のパイロットであったが、現在は、地上のPJ、CCTこそが空軍のエリートである。

アメリカ空軍の特殊課程(PJおよびCCT)について

身体能力および持久力試験・・PAST(Physical Ability and Stamina Test)
PJおよびCCTは、男性で、水泳能力が高く、それでいて身体能力および持久力試験(PAST)で最低100ポイントのスコアを持っている必要がある。また、このPJ・CCTは下士官のみ志願することができる。以下が、PJおよびCCTに求められる最低限の身体能力である。

・2500メートルを10分30秒以内で走る。(9分以内が好ましい)
・立ち泳ぎで500メートルを16分以内(9分以内が好ましい)
・20メートルの潜水
・懸垂8回(20回以上が好ましい)
・背筋 2分以内に20回(100回が好ましい)
・腕立て伏せ 2分以内50回(100回が好ましい)
・ばた脚 2分以内に50回(100回が好ましい)
もちろん、これは最低レベルの基準であり、これを満たしていればPJ・CCT課程に進めるわけではない。成績上位の者から選抜され、定員に達した時点で、それ以下のスコアの者は落第する。

PAST試験を通過すると、テキサス州ラックランドの訓練施設に移り、10週間のPJ課程に進む。10週間のうち、8週間は「チーム・トレーニング」といわれる訓練を行う。この訓練では、ランニング、水泳、ウェイトトレーニング、柔軟体操および障害物コースなどで、さらに体力持久力をつける。

この8週間の課程を終えると、2週間で技術的な指導を受ける。たとえば、医療、潜水技術、兵器の取り扱い方などである。PJ課程の特色として降下物理学を学ぶ。この課程を修了すると、PJかCCTのどちらに進むかを決め、それぞれの専門課程に進む。

以下がPJおよびCCT共通の各種軍事学校・課程である。
・陸軍 空挺学校-3週間
・陸軍 コンバット・ダイバー学校-4週間
・海軍 海中脱出および退避訓練-1日
・空軍 基礎サバイバル学校-2.5週
・陸軍 自由落下落下傘降下学校-5週

以下がPJのみが進む課程である。
・特殊作戦コンバット・メディック課程-22週間
・パラレスキュー・リカバリースペシャリスト課程-20週

以下がCCTのみが進む課程である。
・戦闘制御オリエンテーション課程、テキサス州ラックランド空軍基地-10日
・CCTオペレータ課程-15.5週
・戦闘管制課程-12週

いずれの課程も精神的、肉体的に最高のものを求められるが、この課程を修了すると、PJはえび茶色、CCTは深紅色のベレー帽が授与され、晴れて1人前のPJ、CCTとなる。

次回更新は、5月25日「カナダ特殊部隊」です。(すいません、本業忙しいので、1週お休みください)
ご意見、ご質問をお待ちしております


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Posted by 友清仁  at 07:05Comments(2)knowledge base(基礎知識)

2011年05月04日

ビンラディンはどこに Where's Bin Raden

アフガニスタン戦が始まってすぐに、オサマ・ビンラディンおよびオマルのタリバン最高幹部が姿を消し、それ以後、まったく現れていない。現在、両氏は、どこにいるのだろうか。

結論から言って、両氏はすでに死亡しているか、アメリカ軍に逮捕され厳重に監禁されているだろう。アフガン戦開始直後、ビンラディンは生存していた。それは、アメリカ軍の空爆開始に対する非難声明を発表したことで明らかである。

今回、解説したいのは、この非難声明のビデオである。アメリカ軍とCIAは、この映像を詳細に調査した。彼らが注目したのは、ビンラディンの背後にぼんやりと映っていた山である。その山の輪郭と大きさから山を特定し、非難声明が撮影された場所を約10kmの範囲で絞り込むことができた。その範囲に特殊部隊を急行させ、ビンラディン拘束作戦が行われた。(この作戦では、ビンラディンを取り逃がした)

非難声明の映像により居場所を特定されたと知ったビンラディンは、次の声明では大きな岩をバックに撮影した。これなら居場所が分からないと思ったのだろう。しかしCIAは、この映像も分析した。

注目したのは、背景の岩の色や砂の粒の大きさである。分析の結果、アフガニスタンの一部にある特有の地層であることが判明し、前回の襲撃ポイントから移動できる範囲と偵察衛星などの情報も合わせ、居場所を割り出し、再び襲撃した。(この2度目の襲撃も、ビンラディンは逃げ切った)

アメリカ軍の恐るべき調査・分析能力に驚いたビンラディンは、3回目の声明は、白い布を背景に撮影したがすでに時遅し。アメリカ軍は、2回の襲撃地点と偵察衛星の情報から、すでに30km四方まで、ビンラディンの位置を特定していた。

30km四方といえば広いように思えるが、木々一本ないアフガニスタンの平野ならば、ヘリを1機上空で待機させていれば、容易に追跡できる。

このころになると、バグラム空軍基地がアメリカの支配下にあり、首都カブールも陥落間近で、タリバンのアメリカ同調者もたくさんいた。彼らからの情報も、位置の特定に役立った。(おそらく3回目の襲撃作戦は行われず、タリバンの裏切り者がビンラディンを拘束しアメリカに引渡しのだろう)

昨今、テロリストや犯罪者が多用するデジタル映像は、簡単にインターネットにアップして世界中に流布することができるが、デジタル映像ゆえに、その解析が驚くほど精密にできるのだ。これがビンラディンの命取りになった。

では、なぜアメリカは、ビンラディン逮捕・殺害を世界に公表し、テロとの戦いの勝利を宣言しないのだろうか。

ビンラディンを逮捕、あるいは殺害したと世界に報道すると、「ビンラディンの仇を討て」、といわんばかりに、世界中で小規模なテロが起こることになる。アルカイダ残党は、9.11やロンドン地下鉄爆破などの大規模なことはできなくとも、ショッピングモールにトラックで突っ込むことや街中で銃を乱射することぐらいは簡単にできる。

これこそがアメリカが最も恐れることで、世界中のアメリカ人、欧米人が四六時中、危険に晒されることになるのだ。

ビンラディンは、反米テロリストの英雄である。英雄は「生きている」ことにして、世界中の反米テロリストをアフガニスタンに集めておいたほうが、アメリカにとっては都合が良いのだ。おそらくビンラディンは、100年後も生き続けているだろう。



次回更新は、5月11日「PJ」です。お楽しみに。
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Posted by 友清仁  at 07:01Comments(0)knowledge base(基礎知識)