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Posted by ミリタリーブログ  at 

2010年10月27日

テネットとフランクス Tenet and Franks

グレイがアフガンで活動しているとき、CIA秘密作戦部長テネットは、CIA本部のあるワシントンから中央作戦軍司令部のあるフロリダに移っていた。肩書も秘密作戦部長からCIA特殊作戦部隊司令官となっていた。

10月1日。この日は、テネットが初めて中央作戦軍参謀たちと顔を合わせた日である。10月6日に、空爆が開始されることを考えると、アメリカの意思決定の早さに驚かされる。

すぐに作戦会議が開かれた。会議の前半は、テネットが、いくつもの地図をスライドに写して、アフガニスタンの現状について解説した。会議の場は、異様な静けさに包まれた。無理もなかった。テネットの口から出てくるものは、中央作戦軍の情報参謀ですら知らない情報が次々と出てきたのだ。

テネットの一通りの説明が終わったあと、フランクス大将は、作戦第1段階で空爆すべきタリバン施設のリストを空軍および海軍から出向してきている航空参謀に提供するようにテネットに言った。湾岸戦争以来、中東地域を管轄してきた中央作戦軍の面目丸つぶれである。CIAの情報なしには何もできないフランクス大将は面白いわけがなかった。

さらにフランクス大将を不愉快にさせたのは、ホワイトハウスのラムズフェルドからの作戦の進捗についての催促である。

軍事作戦は、たとえ大統領に尋ねられたとしても、作戦を決行する直前まで秘匿することが第一である。簡単に答えられるわけがなかった。するとラムズフェルドは、テネットに進捗を尋ねるようになり、そればかりかフランクスの部下である参謀たちにも直接聞くようになった。

「国防長官とは、軍の暴走を監視するためのシビリアン(文民)なのではないか。その国防長官が戦争をしたがっている。戦争を政争の具にしているとしか思えない。そんな者のために兵士は命を懸けなければならないのか・・・」
フランクスは、他のエリート将官と違ってベトナムの戦場経験があるだけに、あの悲劇が繰り返されるのではないかと憂鬱になった。

そのような状況であっても、戦争の準備は着々と進められていった。海軍のミサイル巡洋艦もパキスタン沿岸に展開し、空軍の爆撃機も、ラムズフェルドの悪魔のような交渉術で、ロシアから、その空域を通る許可も得て、いつでも離陸できる状態になった。

しかし戦争に不確定はつきものである。空爆開始の直前になって、CIAから提供された空爆地点の地図は、旧ソ連軍が使っていた古いものであり、空軍の持っている最新の衛星地図とは、かなり違っていることが判明したのである。

つまり現地CIA工作員から送られてくる情報は、空軍の衛星地図に変換してからでないと使用できなかった。問題はこれだけではなかった。現地のジョーブレーカーは、目標を「色づけ」するための発信機を持っておらず、空軍の爆撃機と連携を取ることが非常に難しい状況だったのだ。

フランクスは、作戦の延期を大統領に進言するべくワシントンにアポイントを取ったが、大統領に会うことはできなかった。その代わりにラムズフェルドが面会し、「作戦は予定通りに行うように」と、告げたのみであった。

戦場には不確定がつきものである。作戦開始当初、地図の不備から空爆は困難なものになると思われたが、対するタリバン兵は、近代戦についてはまったくの無知で、アメリカの爆撃機が近づくと闇雲に対空砲を撃ってきた。そのため、爆撃機のパイロットは、空爆目標を「目視」で確認することができ、ほとんどを破壊してしまった。精密誘導弾は必要なかった。


次回更新は、11月3日 「タクール・ガールの戦い」です。お楽しみに。
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写真は、イメージです。


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Posted by 友清仁  at 07:01Comments(3)Story(物語)