2010年03月17日
オマル Omar
ムッラー・オマルは、1959年、カンダハル近郊のサンギサル・マイワンドで生まれた。彼の家庭は非常に貧しく、父は、オマルが生まれるとすぐに世を去り、オマルは家族を養うため、幼少の頃から働いた。
ソ連がアフガンに侵攻すると、オマルも他のアフガニスタンの男たちと同様にムジャヒィデンとして戦ったが、彼の場合は、祖国を護るためというより傭兵の方が金になるから兵士になったといったほうが正しい。
戦闘で4回負傷し、そのとき右目を失った。負傷し、兵士として働くことができなくなった彼は、故郷に帰っても食ってゆくことができないため、やむなくパキスタン国境のクエッタにあるイスラム教寺院学校へ行き、イスラム教の僧侶となった。僧侶として彼は、イスラム教の研究に専念しやがて学校で教鞭をとるまでになる。
1989年にソ連がアフガンから撤退すると、国内は無政府状態となった。略奪、強姦、殺人が繰り返された。そのような状態に怒りを感じたオマルは、同志50名と共に寺院を出て、首都カブールに入った。
カブールに入ったオマルたちは、すぐに盗賊たちの略奪の現場に出くわした。オマルたちは、わずか16丁の旧式銃で、自動小銃を装備した盗賊たちと戦い、みごと、盗賊を撃退した。
この噂がまたたくまに国中に広まり、ぜひ、オマルの下で働きたいというものが集まってきた。この集団がやがて、タリバンとなり、アフガニスタンを席巻するようになる。
次回更新は、3月24日 「メディア対策」です。お楽しみに。
本ブログの内容の無断転載を禁じます。ご意見・ご質問をお待ちしています。
写真は、イメージです。

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1989年にソ連がアフガンから撤退すると、国内は無政府状態となった。略奪、強姦、殺人が繰り返された。そのような状態に怒りを感じたオマルは、同志50名と共に寺院を出て、首都カブールに入った。
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いきなり終了で申し訳ございませんが・・・・
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アフガンに展開したODAについて ODA in Afghan
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