2011年07月13日
オーストラリア特殊空挺連隊 SASR
SASRの任務は、アルカイダおよびタリバン残党の掃討、および長距離偵察を行い、その情報を連合軍に情報を提供するであった。オーストラリアSASRは、いずれの任務にも長けており、特に、アナコンダ作戦のときにはその活躍は目を見張るものがあった。
捜索範囲が広くなるにつれ、SASRの編成も大規模なものとなり、最大で、偵察部隊だけで、240名、これに司令部および支援部隊(輸送、医療、通信および兵站)が加わり、総数、500名規模の大所帯となった。
アナコンダ作戦では、SASRは、シャハ・エ・コット付近のマルザクおよびズーマットの戦闘に投入された。この戦闘は、ベトナム戦争以来、経験したことがないほどの激戦であった。
アナコンダ作戦初期のロバート・リッジの戦いでは、アメリカ軍のSealsおよびレンジャー達が山頂で死闘を繰り広げている一方で、SASRは、標高1万メートル、気温マイナス19度の山腹に陣取り、アルカイダの拠点を爆撃機に連絡し続けた。
1957年に創設されたオーストラリア特殊空挺連隊は、そのルーツを第2次世界大戦のMからZ中隊まで遡ることができる。
ベトナム戦争が始まると、アメリカ軍の補助的な部隊として再編成され、1971年に撤退するまでベトナムに派遣された。ベトナムでは、「ジャングルのゴースト」と呼ばれ、ベトコンから恐れられ、最強部隊であることを誰もが認めるようになった。その20年後、SASRはソマリアに派遣され、モガデシオの武装勢力と対峙していたアメリカ軍およびオーストラリア歩兵大隊を支援した。
1999年9月、SASRは、「安定化」作戦で東ティモールに公式に派遣された最初のオーストラリア部隊となった。2000年のシドニーオリンピックの際には、様々な対テロリズム任務に就けるように、装備や予算などを大幅に増強された。これにより陸海空および市街戦に対応できるようになった。
現在SASRは、オーストラリア特殊部隊の中核をなす部隊で、パースに司令部を置き、隊員はすべて志願兵である。選抜にあたり(志願者の10パーセントしか合格しない)、志願者は、数年間の現役勤務を経なければならない。特殊空挺連隊は、現役の飛行隊および予備役部隊だけでなくオーストラリア陸軍第4連隊も含んでいる。
現在のSASRは、90名からなる「サーベル」飛行隊、および医療、輸送、整備および専門家の派遣などを行う支援部隊で編成されている。これらの中隊は、連隊司令部の指揮下にある。
3個サーベル飛行中隊は、3年間のサイクルで現役勤務と訓練期間を行う。訓練期間中は、隊員は、初年に新しい技術の習得および改善に取り組む。2年目には、さらに専門的な特殊任務、偵察、破壊工作、情報収集、また陸海共同作戦に参加する。3年目には、国際的な対テロリズムチームとして、「臨戦飛行隊」として24時間体制で警戒し、訓練と実際の任務を平行して行う。
SASR内の各飛行隊は、航空任務(パラシュート降下、ヘリコプターによる侵入あるいは戦術航空着陸)、陸海共同作戦(小艦艇、潜水艦およびカヌーによる侵入、閉鎖循環式呼吸用保護具の使用方法)、および(6軸長距離偵察車両を使った)陸上での作戦などに特化している。
次回更新は、7月13日「ニュージーランド特殊部隊」です。お楽しみ。
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いきなり終了で申し訳ございませんが・・・・
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