2011年08月10日
フランス特殊部隊 French SF2
今回もちょい長めです。最後までお付き合いのほどを・・後半にブラックホール戦記があります
シラク大統領から特命を受けたDGSE(対外治安総局)は慌てた。北部同盟とタリバンに影響力を持てといわれても、今までアフガニスタンやパキスタンなどの地域には、まったくといってよいほど工作員を派遣しておらず、アフガニスタン周辺にいた工作員といえば、トルクメニスタン、アゼルバイジャンおよびタジキスタン地域に基地責任者がそれぞれ1人いただけで、この責任者も3カ月おきに北部同盟と連絡を取っていただけだったからである。

この責任者の第1の仕事は、ドゥシャンベ区域のフランス国外追放者の情報の収集であったのであるから、それも仕方なかったのかもしれない。
しかしながら、シラク大統領の特命もまんざら無理難題でもなかった。なぜなら、フランスはソ連のアフガン撤退後、マスード将軍個人には、多大な援助を行っており、2001年には北部同盟をアフガンの公式政府として認め、マスード将軍をフランスに招待したほどである。(マスード将軍は、フランスには行くことはなかった)

DGSEは、現地の体制が整っていないことを大統領に報告すると、シラク大統領は不機嫌になった。DGSE幹部が、政治的な支援・支持と工作員の派遣はまったく別物であることを根気強く説明すると、シラク大統領は、ようやく機嫌を直し、ペルピニャンのCIPS(特殊空挺部隊)およびCPEOM(山岳作戦部隊)から、できるだけ多くの工作員をアフガニスタンへ派遣するように命令した。
だが、それらの人員は、アフガニスタンの山岳地帯での行動は初めてであるばかりか、現地の言葉も分からなかった。しかも彼らは軍事作戦の要員であり、情報収集や政略的な行動は苦手であった。
フランス国防省も行動を開始した。アフガンでの軍事的行動について研究・検討させるため、ランドット退役将軍と将校数名を現地に派遣した。

しかし軍事的行動の研究といっても、アフガンの政情も分からない上に、どのような行動を起こすのかも不明な状態では、検討することすらできず、結局は、DGSE工作員と同様に、北部同盟やタリバンの人脈作りしかすることがなかった。
情報を集めるべき部署に軍事行動を研究させ、軍事行動をになう部署に情報収集や政略活動を行わせる・・・。
欲に目がくらんだフランスは、統一的な行動がとれない、頭と体がバラバラに動いているようなもので、いずれの組織も効果をあげることができなかった。

そのようなちぐはぐな行動の中で、フランス工作員たちは、自分たちが行く先々にCIAがいることに気付いた。しかもCIAは、簡単に北部同盟幹部を説得し、自分達の意のままに動かしていることが不思議でならなかった。だが、その謎はすぐに解けた。CIAは、旅行カバンからドル札を無尽蔵に取り出しては、北部同盟幹部の懐にねじ込んでいたのだ。
当然のことながら、DGSEも本国に対し買収の資金を要請したが、本国からの回答は、「ノン」であった。もともとフランスは、アフガンで火事場稼ぎをするつもりであって、費用をかけるのは論外であった。
本国からの回答の後、DGSE工作員は、北部同盟幹部を接触したのだが、交渉には、持っていったGPS受信機を見せることしかできず、それだけでは、北部同盟幹部の心を動かすことはできなかった。
そのころには、アメリカはCIAだけでなくグリーンベレーもアフガン入りし、そのGPS受信機の設定も終え、大量の軍事物資の到着を待つのみになっていた。北部同盟が米仏のいずれかと手を組むかは、返答の必要もない状況であった。

以後、GDSEは為すこともなく、アメリカ軍の主導の下で進撃する北部同盟軍の後を追い、首都カブールに入城し、その状況を本国に報告したのだが、内容は、CNNやBCCのニュースとほとんど変わりなかった。
次回更新は、8月24日「カルザイの出庵」です。お楽しみに(1週間お休みを頂きます)
ご意見、ご質問をお待ちしております。
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シラク大統領から特命を受けたDGSE(対外治安総局)は慌てた。北部同盟とタリバンに影響力を持てといわれても、今までアフガニスタンやパキスタンなどの地域には、まったくといってよいほど工作員を派遣しておらず、アフガニスタン周辺にいた工作員といえば、トルクメニスタン、アゼルバイジャンおよびタジキスタン地域に基地責任者がそれぞれ1人いただけで、この責任者も3カ月おきに北部同盟と連絡を取っていただけだったからである。

この責任者の第1の仕事は、ドゥシャンベ区域のフランス国外追放者の情報の収集であったのであるから、それも仕方なかったのかもしれない。
しかしながら、シラク大統領の特命もまんざら無理難題でもなかった。なぜなら、フランスはソ連のアフガン撤退後、マスード将軍個人には、多大な援助を行っており、2001年には北部同盟をアフガンの公式政府として認め、マスード将軍をフランスに招待したほどである。(マスード将軍は、フランスには行くことはなかった)

DGSEは、現地の体制が整っていないことを大統領に報告すると、シラク大統領は不機嫌になった。DGSE幹部が、政治的な支援・支持と工作員の派遣はまったく別物であることを根気強く説明すると、シラク大統領は、ようやく機嫌を直し、ペルピニャンのCIPS(特殊空挺部隊)およびCPEOM(山岳作戦部隊)から、できるだけ多くの工作員をアフガニスタンへ派遣するように命令した。
だが、それらの人員は、アフガニスタンの山岳地帯での行動は初めてであるばかりか、現地の言葉も分からなかった。しかも彼らは軍事作戦の要員であり、情報収集や政略的な行動は苦手であった。
フランス国防省も行動を開始した。アフガンでの軍事的行動について研究・検討させるため、ランドット退役将軍と将校数名を現地に派遣した。

しかし軍事的行動の研究といっても、アフガンの政情も分からない上に、どのような行動を起こすのかも不明な状態では、検討することすらできず、結局は、DGSE工作員と同様に、北部同盟やタリバンの人脈作りしかすることがなかった。
情報を集めるべき部署に軍事行動を研究させ、軍事行動をになう部署に情報収集や政略活動を行わせる・・・。
欲に目がくらんだフランスは、統一的な行動がとれない、頭と体がバラバラに動いているようなもので、いずれの組織も効果をあげることができなかった。

そのようなちぐはぐな行動の中で、フランス工作員たちは、自分たちが行く先々にCIAがいることに気付いた。しかもCIAは、簡単に北部同盟幹部を説得し、自分達の意のままに動かしていることが不思議でならなかった。だが、その謎はすぐに解けた。CIAは、旅行カバンからドル札を無尽蔵に取り出しては、北部同盟幹部の懐にねじ込んでいたのだ。
当然のことながら、DGSEも本国に対し買収の資金を要請したが、本国からの回答は、「ノン」であった。もともとフランスは、アフガンで火事場稼ぎをするつもりであって、費用をかけるのは論外であった。
本国からの回答の後、DGSE工作員は、北部同盟幹部を接触したのだが、交渉には、持っていったGPS受信機を見せることしかできず、それだけでは、北部同盟幹部の心を動かすことはできなかった。
そのころには、アメリカはCIAだけでなくグリーンベレーもアフガン入りし、そのGPS受信機の設定も終え、大量の軍事物資の到着を待つのみになっていた。北部同盟が米仏のいずれかと手を組むかは、返答の必要もない状況であった。

以後、GDSEは為すこともなく、アメリカ軍の主導の下で進撃する北部同盟軍の後を追い、首都カブールに入城し、その状況を本国に報告したのだが、内容は、CNNやBCCのニュースとほとんど変わりなかった。
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いきなり終了で申し訳ございませんが・・・・
コンクルージョン conclusion
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アフガンに展開したODAについて ODA in Afghan
J-DAM
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