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Posted by ミリタリーブログ  at 

2010年07月14日

戦闘終結 The completion

11月27日、アメリカ軍の執拗な空爆と機銃掃射で、600名いたタリバン兵は、わずか50名ほどになった。すでに弾薬ばかりか、食料や水もなく、戦闘意欲を失い、城塞の地下倉庫に篭っているだけであった。わずかな隙を突いて、脱出しようと試みる者もいたが、ドスタム軍により射殺された。

ガードナーは、暴動鎮圧作戦の最終段階の準備を進めた。このとき、城塞の外壁を完全に制圧していたので、ガードナーはドスタム軍を内壁の北側と南側の城壁に展開させた。

兵士達が内壁に上ると、そこには、おぞましい光景が広がっていた。空爆と機銃掃射により、すでに人間の形を成していないタリバン兵の死体が広場一面に埋め尽くされていた。悪魔がどんなに想像力を働かせても、このような場面を作り出すことはできないだろうと思われた。

このころになると特殊部隊も増員され、20名ほどになった。
正午前、ガードナーをはじめとする特殊部隊20名が、タリバン兵が篭る地下倉庫の捜索を開始した。特殊部隊が地下倉庫の扉を蹴り上げると、中には、完全に恭順の姿勢をしたタリバン兵がいただけであった。

すぐにタリバン兵に簡易手錠をして、広場に連れ出した。広場では勝利を確信したドスタムの兵士が、ガードナーの命令などそっちのけで、タリバン兵の死体から金目のものを、争って漁っていた。

念のため、ガードナーは、城塞全部のクリアリングを行うようにドスタム軍に命令した。略奪を禁止されたドスタム軍の士気は大いに落ちた。クリアリングといっても、士気の落ちたドスタム軍のやったことといえば、タリバンが潜んでいそうな場所に、RPGを打ち込んだだけであった。

この戦闘は、暴動鎮圧ではなく一方的な虐殺であると報じたメディアがあったが、それは真実とはいえない。なぜならタリバン兵は武装し激しく抵抗したからである。

この暴動が起きた原因の1つは、タリバン兵は、監獄に入った時点で十分にボディチェックを受けていなかった。
2つ目は、反乱が起きたとき、監視兵の数が十分とはいえなかった。捕虜4名つき監視兵1人が適当であっただろう。さらにタリバン兵が400平方メートルもの巨大な兵器庫がある場所に拘留されたことも原因の1つである。
3つ目は、デイブとスパンは、タリバン兵に対し、油断していたことである。また2人の外界との連絡手段が無線機だけで十分であったかどうかということである。攻撃が始まった直後に、CIA工作員がドイツ人テレビ局の衛星電話を借りることができたのは、不幸中の幸いであった。

後日、この特殊作戦中の戦闘での負傷により、戦傷ドリナミルを受賞した者がいることが発表された。公式には、クラ・イ・ジャンギ監獄の戦闘で航空攻撃の支援を行ったことを称えて、メダルが授与されたことになっている。しかし、この作戦に関わった者の氏名などは軍事機密として明かされることはない。


次回更新は、7月21日 「ナイト・ケンタウロスの活躍」です。お楽しみに。
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写真は、イメージです。

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Posted by 友清仁  at 07:00Comments(0)Story(物語)