2010年04月28日

トラボラの戦い Battle of Tora Bora

11月12日。タリバン政権は崩壊した。タリバン指導者たちは、夜陰にまぎれ、パキスタン国境のトラボラの山岳地帯へ逃げていった。すぐにグリーンベレーおよびCIA工作員がカブールに乗り込み、機密文書を押収した。

カブール占領が全世界に報じられると、今までアメリカのアフガン戦に批判的な態度をとっていたパキスタンも、国内の空港の使用を公式に認めた。すぐに、空軍戦闘管制チームおよびパラレスキュー(空挺救急隊)は、パキスタン国内の空港を経由して、ヘリでトラボラ地帯へ移動し、偵察作戦を開始した。この部隊の目的は、アフガン国内のバグラムおよびリノ空港に空軍機が離発着できるように準備をすることである。

時を同じくして、海軍特殊部隊(Seals)もトラボラ地帯にヘリで侵入した。Sealsの目的は、アフガン戦緒戦の戦闘効果を確認することと、開戦当初から活動しているグリーンベレーと交代し、トラボラに逃げ込んだアルカイダを掃討することである。

カブール陥落以降、国防省の攻撃方針は、トラボラ掃討部隊の編成が整うまで、絶え間なく同地方へ空爆を行なうこととした。しかし、トラボラ地方は、ソ連のアフガン侵攻時に構築された地下道が網の目のように張り巡らされており、空爆の効果はあまりなかった。

12月初旬、トラボラ掃討作戦のため、特殊部隊(いわゆるSOCOM)が編成され投入された。国防省は、この作戦で、タリバンおよびアルカイダ首脳を生け捕りにして、戦争を終結させるつもりでいた。

しかし実際には、この攻撃作戦では、わずかに敵を倒しただけで、たいした成果を挙げたとは言いがたかった。その証拠に、タリバンおよびアルカイダ指導者のほとんどを取り逃がしてしまったのだ。作戦司令のレイン准将は、「この作戦は、テロリスト集団の本体を攻撃するということで評価されるべきではなく、アルカイダの施設を破壊したことを評価するべきである」と発言した。

作戦が思ったほど効果を上げなかった理由は、
1.作戦範囲に対し、投入された人員が少なすぎたこと。(特殊部隊隊員1人で20km四方をカバーしなければならなかった) 
2.トラボラ地域には、ソ連アフガン侵攻時に構築された地下道がアリの巣のように張り巡らされており、上空から人の動きが把握できなかった。 
3.にわかに編成されたアフガン国防軍の戦意が乏しかったこと、などがあげられる。


次回更新は、5月5日「トラボラでのシールズ」です。お楽しみに。
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写真は、イメージです。
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Posted by 友清仁  at 07:02 │Comments(0)knowledge base(基礎知識)

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